カテゴリ:生と死
去年の今頃、 私はボスと 最後に会い、 最後の会話をしている。
いつものように 病院の談話室で。
一面に広がる 大きな窓際に沿うように作られた バーのカウンターのような席に 二人で並んで座っていた。
いつものように ボスの好きなものや 身体に良いもの 抗がん性があるといわれるものを たくさんたくさん持って行ったが、 ボスは 相変わらず ほとんどを口にしなかった。 口にしたのは 私が作った 特製ジュースだけ。
再発が認められ、 2005年の11月末から 放射線治療の為 再入院をしていた。
『さっさと治して早よ家帰って来るわ』
ボスは明るく いつものように出て行ったが 放射線治療は ボスにとって 想像以上の副作用をもたらしていた。
12月の半ば頃になると、 それは顕著に現れ 倦怠感、嘔吐、胸の焼けるような痛み、 そして何より 思考が錯乱するようになっていた。
だから、 食欲は全く無く、 また 無理矢理口にしても 痛みと吐き気で 嘔吐してしまうような毎日だった。
口に出来るものは 消化が良く、固形ではないもので つまりは 流動食のようなものばかりだった。
ボスは 見る見る痩せていった。
それでも 栄養をつけさせなければと 私はミキサーで 毎日ジュースを作り 病院まで 届けていたのだった。
ジュースを飲み終えたボスに 私は いつものように マッサージを始めた。
左肺を摘出したため ボスの背中の左には、 肩からわき腹にかけて 大きな弓状の傷があった。
私はそこを 温めるように撫でながら 少しづつエリアを広げ、 身体全体を マッサージしていくのだった。
痩せた首筋は ただの老人のようだった。 ほんのひと時前は あんなに逞しい首筋だったのに・・・ 私は彼の首筋や その首筋にしがみついた記憶を思い、 無性に悲しくなった。 それでも、 形が変わっても やはり私にはとっても愛おしく、 乾いた肌に 潤いが戻るようにと 抱きしめたい気持ちを抑えながら 首のマッサージへ移った。
ボスが首筋を掻いた。
その指は爪が伸びていた。
『爪、伸びとるね。切ろうか』
『ああ・・』
ナースセンターから 爪切りを借り、 切り始めた。 あんなにいつも清潔に爪を短くしていたのに こんなに長くなるまで 誰も気付かないの?
私は相当にイラついた。
私がもっと 堂々とボスの看病を出来る立場なら、 こんなこと 絶対にさせやしないのに。
なんだか 私の大事な人が 粗末にされてる感じがして 許せない気持ちになっていた。
一本一本 ボスの指を握り締めながら
ボス、大丈夫、私がいるから。
絶対に生かせてみせるから。
守ってみせるから。
と思った。
マッサージや爪きりが終わり、 私はまた再び ボスの横に座った。 椅子と椅子の距離を感じ、 自分の椅子を出来るだけ ボスの方へ近づけた。
二人で 窓の外を眺めていた。
窓の下には 行き来する人々と その真ん中に イルミネーションされた 何本かの木が見えた。
『あの光、あんまり好きじゃない・・』
ボスは言った。 イルミネーションのことだった。
『そう?なんで?』
と聞くと、ボスは
『なんか・・冷たくない?』
と言った。 イルミネーションは 青色発光ダイオードのみで飾られ 私は そう言われれば なるほど と思った。 綺麗ではあるけれど 懐かしさや温かさは感じられない。 ボスの身体や記憶に染み付いた イルミネーションは きっと温かく楽しい想い出がつまっているのだろう と思った。
気付けば 私は窓の外ではなく ぼーっと外を眺めるボスの 横顔をじっとみていた。
この頃はもう ボスの体力も気力も限界だったのだろう。 あんなに私と楽しそうにはなしていたボスの 口数は極度に減っていた。 また 頭の中は常に 寝ても醒めても 朦朧としていたようだった。
この人は今、 何を考えているんだろう。
横顔を見ながら 見えない、届かない ボスの心の奥の闇に 思いをめぐらせていると
『いつになったらゆっくり眠れるんかな』
ボスが言った。
胸がつまった。
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