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カテゴリ:思い出
1年もブログ放置してしまった。書きたいことは山ほどあったけど、それ以上にやりたいことのほうが多くて、ブログは優先順位が低く後回しにしているうちに描かずに1年が過ぎてしまった。
今年無事、銀婚式を迎えられて、記念にというわけではないけど、懐かしの中央線沿線の街へ行ってみようということになり、お父ちゃんと電車で出かけた。東上線から武蔵野線に乗り換えて、西国分寺で中央線に乗って、最初に行ったのが吉祥寺。 結婚前の私が一人暮らししていた頃、吉祥寺にはよく二人で遊びに行った。駅前の商店街のアーケードはそのまま。お気に入りだった「くぐつ草」という地下の洞窟のような喫茶店も昔のままで嬉しかった。当時、休日の夕方は満席になっていることもあって、ディスプレイのように入り口付近にあるロッキングチェアの席へ 「このお席でもよろしいですか?」 と聞かれたこともあった。もちろん、その椅子に座ってみたかった私たちは喜んだのだった。 この日は空いていたので、そのロッキングチェアの横の席へ座った。 それからブラブラと歩き、ナチュラルキッチンで雑貨をあれこれ買い、荷物はすべてお父ちゃんに持たせて、西荻窪へ移動。我が家の暗黙のルールなのか、お父ちゃんと買い物に行くと私は財布の入ったバッグ以外持つことがほとんどない。その代り、お父ちゃんの上着のポケットに入らない物は私のバッグに入れられる。 西荻窪は卒業後2年間一人暮らしした街。懐かしのアパートは少し改装されていたものの、その場所にあった。会社の寮だったが、6畳とキッチンが3畳くらいの広さで、浴室とトイレが別。洗濯機は家の外に置ける作りの当時新築のアパート。家賃2万5千円也。お蔭で安月給でも一人暮らしできた。 お父ちゃんと当時出かけると、いつも西荻窪まで送ってくれて、近所の「どんぐり舎(や)」という喫茶店でコーヒーを飲んでおしゃべりしたものだった。2週間に1回くらいは行ってただろうか。店の外観は変わってないけど、周りの木や鉢植えがずいぶん茂ってジャングルのようになっていた。看板の不思議なキャラクターもそのまま。もちろんお店の中も変わってなかった。でも昼間来ることがあまりなかったから、店が明るく感じて違和感。流れている音楽も昔と同じジャズ。お客さんも皆黙って本を読んだりしている。ここは分煙などしていないので、愛煙家には居心地がいいのだ。私は今は吸わないけど、昔はこの店に溶け込んでいた。 で、お父ちゃんとどんぐり舎で、コーヒーを飲みながら、 「あの頃何を話していたんだろうね?」 と言われて 「さあ。でも、昨日話したことですら忘れているから、25年以上前の会話なんて覚えているわけがないよ。」 と返した。 西荻窪は古くからあるお店は残っていたり、全然新しくなってしまって面影もない場所になってしまったり様々。会社の企画室の先輩に連れて行ってもらったケーキの美味しい喫茶店もそのままだったが、ちょっと変わった居酒屋というか食堂というか「満月洞」っていうお店はもうなかった。そこにも当時お父ちゃんと一緒に行った。 本当はもっといろいろ歩いて懐かしの古着屋を捜したかったけど、まだ次に東中野という忘れてはならない場所があったので移動。東中野は結婚して最初に住んだ街。新宿にほど近いのに、下町のようなゴチャゴチャした感じがあって気に入っていた。駅はすっかり雰囲気が変わっていたが、駅前から商店街を抜けて行き、当時住んだ早稲田通りのマンションもそのままそこにあった。よく行った近所のお蕎麦屋さんも、中華屋さんも当時のまま。 すっかり見違えたのは山手通り。歩道がシャンゼリゼの歩道のようにめちゃめちゃ広い。自転車道まである。新宿から各駅停車で二駅っていうのが納得できる外観に様変わりしていた。 25年は長いようで短かかった。でもいっぱいいろんなことが詰まっている。25年変わらずにそこにいてお店を続けている人もいることが有難い。きっとそのお店に人たちもいろんなことがあったと思うけれど、ずっと頑張っているということに励まされる。私たちも頑張ろう。そして時々昔を思い出しに行こう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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