立ち上がるために
自分で自分を守るっていうのかな。 自分に対する批判の嵐の中、小さくなって、批判や避難に素直に応じ、自分の欠点を自ら探すようにして、自分の中から湧き出るものでさえ否定するように小さく包まって震えているとき、自分に自信を持たなくちゃ・・・!持たなくちゃ・・・・、ってよく思ったものだ。 そんな時は自然に本を探していた。ひたすら本を読んでいた気がする。子供が小さく、まだ本当に手がかかる中、子供を寝かしつけながら、家事の合間、色んな合間を見て、本を読んだ。読み漁った。 なぜ、本を読んでいたのか。それは、本の中に、自分と同じ考えがあるのではないかと無意識に思い、捜していたのだ。 でも、自分と同じ考えの本にはそうそう巡り会わない。だから、出かけたらいつも書店によった。新聞の本の新刊の紹介を読み漁った。 喜びを感じるときは、自分の考えと同じことが載っていたとき。その時は、自分が肯定されたかのように嬉しかった! 今思えば、どんな状況の私でも、無意識に自分と同意見を探していたという事は、はじめから自分の意見や考えがあったという事だったんだよね。当時はそう認識していなかったけど。 時が経ち、自分を少しずつ信じだして、立ち上がった。批判否定に対して、自分の意見を相手に伝えることができるようになったとき、相手の態度が変わる、もしくは、人によっては私の元からいなくなった。 ケチョンケチョンに言われて、傷ついて、あざ笑うように否定され、ボロボロになって、それから本を読み漁り、傷が回復すると同時に、自信をつけると、自分を守ることができるようになった。 まるでお試しのように、その頃に娘が学校で嫌がらせを受け、学校や、向こうの親と話すきっかけがあった。その時に、娘の立場に立って、向こうの言い訳に屈することなく話せた。 それらの事がもっと自信につながった。やはり、自分を守れるようにならなければ、変わらないと思う。 世間の風は容赦ない。しかし、その体験も、私を大きくする貴重な体験だったなぁと思うんだ。