がちがちの価値観
午前中食器洗いをしているときに、 以前チャネラーさんに言われた言葉を思い出していた。 すると天使から「比較について観てみたらどうですか?」 ときた。 先月、私の信頼するチャネラーさんに、 「私はどうして~なんだろう。という質問が多いんですよ」 と言ったところ、 「質問の根底には、<比較>があるからなんです。」 と言われた。 正直、このときには、何のことを言っているのか さっぱりわからなかった。 でも、私には、現在はそれほど自覚は無いが、 人と自分を比較することが多いかもしれないなぁ。 あなたの中のことで比較しているという自覚はありますか? (いえ、最近は特に無いです。でも昔はよく自分が劣っている ということで苦しんでいました。) あなたは昔から大人から比較されたり、言われたり、 あなたを守ってくれる母親が不在ということもあったので 言われたい放題でしたね。 さて、どのような人が比較するのかわかりますか? (劣等感のある人) そうなんです。 劣等感とはどんなところで生じるものなのかわかりますか? (お前は馬鹿だ、駄目だと言われること) その言葉は比較とは限らないのですが、 あるときに否定的なことを一方的な価値観で言われ続けると 自分はそうなのだと思い込んでしまいます。 それが大人からなら、なおさらです。 人は多かれ少なかれこのような心の傷は持っています。 人から馬鹿にされるなどして何か言われる。 傷つく。そして、それを受け入れることによって あるひとつの価値観が生じます。 その強烈な印象の価値観が人を裁きます。 あなたの場合、口に出さなくてもその裁きを感じてしまうの で、どんどん傷ついていきます。 人は、裁かれ、それを受け入れるという行為の数ほど ある価値観が育っていくのです。 それがあなたの中の比較というものに繋がっていくのです。 闇雲にその比較の癖というものを消そうとするのではなく、 あなた自身がもう一度あなた自身の細部にわたり検証してゆく と良いのです。 そのやり方とは、人のやり方ばかりを観るのではなく、 自分はこうゆう時にどう考え、どう感じるのかということを もっと観察してください。 そして今の大人であるあなたの視点で誰の意見も入れることな く、 その考え、感じ方などを一つ一つチェックしてみてください。 あなたが幼少の頃から無意識に組み立てた価値観が いかに偏っていたものなのかがわかるでしょう。 そして、それに縛られていたことにも気がつくでしょう。 (質問するのは、根底に比較があるからだと言われましたが、 どうゆう事なのでしょう) はい。まず、質問するということは、 ある疑問が生じるからですね? それでは、その疑問とはどのようなものなのか観ていきましょ う。 「何故私はこうするのでしょう、こう思ってしまうのでしょ う」 という質問が主ですね? それは以前あなたがある人物からその行為を咎められたからで はないでしょうか。 或いは、これはいけない、等思ってしまうからではないでしょ うか。 例えば、あなたが自分では欠点と思っていないところ・・・ 大声でアハハ!と笑うことに対して、 自分は何故大声でアハハ!と笑うのかと疑問に思いますか? あなたはアハハ!と笑うことは自分では良いと思っています し、誰にも咎められることはなかったのです。 全ての質問疑問に思うことが、根底に比較があるからだとは言 いませんが、 あなたの心の奥底には、いろんな人の価値観がいろんな形で渦 巻いています。 そして本来のあなたが 「どうしてそれをやったらいけないの?」 と思っているのです。 本来のあなたはそのような価値観のしがらみから 自由になりたいのです。 だからこそ、どうしてこんな風に思うのだろうとか、 どうして??と疑問に思ってしまうのです。 わかりましたか? あなたは今、とっても自由になりたいのです。 でも、あなたの心の中でまだ無自覚ながらも ~をやってはいけない・・・という価値観が渦巻いているので す。 そこを観ようと決心してみてください。 そして、私共天使にそこを見えるようにとお願いをしてみてく ださい。 そうすることであなたは自分の中のがちがちに縛られた価値観 と、 それがどこから来たものなのかがわかるのです。 あなたは、あなたの心を注意深く観察してみてください。