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風景を憂う

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ヒロ7161

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2006年06月03日
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カテゴリ:日記
公共色彩に関する研究を行っている人と話していたとき、九段下のイタリア文化会館の色彩論争の話をしました。「あの色彩は一概に否定できない」という意見で一致しました。
どうも「風景」を対象とすると、「あれも駄目、これも駄目」と規制するばかりのような気がする。もっと創造的なコントロールができないものかな、といった話をしました(ただし、創造と言ってもビルを作る、公共施設をつくるだけではなく、どういった風景を創るかといったものです)。
デザインや色使いも、基本的なところは真剣にそこの場所を考えるかどうかだと思います。高層マンションを建設するにしても、それが地域にとって何なのか、どういった存在なのかをちゃんと考えた結果のマンションであれば、恐らく風景としても「おさまりのいい」ものになると思います。現在は、それが行政も民間事業者も住民も欠落しているのではないでしょうか。
「アメリカ、ヨーロッパまんせー」とか言っている場合ではなく、もっと自分の住んでいる地域のことを(長期的視野で)ちゃんと考えれば、いつの時代にも対応しうる風景が生まれるような気がするのですが。

村の生活環境史

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Last updated  2006年06月03日 20時03分15秒
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