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風景を憂う

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2006年08月22日
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カテゴリ:日記
昨日の高校野球大会決勝戦は、一昨日の試合と合わせて非常に見ごたえのあるいい試合でした。ピッチャーの2人には、高校生とは思えない逞しさを感じました。ここで、駒大苫小牧は負けてしまったわけですが、恐らく地元で負けたことを攻めるような無粋な人はいないと思います。
一方、サッカーのW杯で負けた日本代表に対しては、監督批判も含めて多くの人が責めていたように思います。結果はどちらも「負け」であるのに。予選敗退と決勝まで進んだという違いもあるでしょうが、結果の出る過程が評価の差に現れたと言えます。

特に日本人は、過程を重視する傾向があるような気がします。プロレスの観客がいい象徴で、日本ではいい技を出した選手には(それが悪役であろうとも)歓声を送りますが、アメリカでは贔屓の選手以外には歓声を送りません。ひたすらブーイングです。

この傾向は、もしかしたら風景や空間づくりにも影響しているのではないか、と最近考えたりします。日本の、今現在高い評価を受けている風景に、一次産業の場(田畑や二次林、バナキュラーな集落)があります(最近は二次産業の場も評価されてきていますが)。これらは、当然ながら風景を作ろうと考えて生み出されたものではありません。大分前には、産業の安定している度合いを風景から読み取ろうとする考えもありました。

しかし、最近はこれらの風景を生み出そう、としている動きのあるのが気になります。「風景とは、結果であり始まりであり、プロセスである」という言葉を聞いた事がありますが、まさにどこに重きを置くかで、出来上がる風景は異なってくると思うのです。
(写真は、街路樹枡を設けたのだが、何も考えずに設置したため、現在は店の備品置き場となってしまったものです)

空間の比較文化誌
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Last updated  2006年08月23日 19時40分07秒
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