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風景を憂う

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2006年12月18日
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カテゴリ:日記
以前、大手予備校に長年お勤めの方が、新聞で教育の話をしていました。その方いわく「以前は、学校は色々な先生が勉強ではなく教養を身につけさせる場所であった。そうした学校があってこそ大学入学を目的とする予備校が成立し、学生も視野を広く持つことができた。現在は、学校が大学入学を目標に掲げてしまっており、予備校と変わらなくなってしまっているために、学生たちも視野が狭くなってしまったのではないか」といったようなことをおっしゃられていました(読んでから大分時間がたつので、大分オリジナルからずれて脚色が加わっていると思います)。

最近、電車の中で本を読んでいる人が減っています。携帯ゲームやメールをやっているために、揺れる電車の中で揺れる手と指、という(文章で書くと気持ち悪くなる)光景が当たり前になりました。大学生もあまり本は読んでいないらしく、専門書以外には就職本などしか読んでいないようです。専門書も、インターネットで拾えるものしか読まないみたいですが。

旧制高校時代の小説や回顧録を読むと、必ず学生同士で文学論や哲学論などの議論を行なった、と書いてあります。最近の学生が、「効率よく生活しなくちゃ」と話すのを聞くと(私の周りだけであるのを望みますが)恐ろしくなります。私(30代半ばの若輩者ですが)でさえも、学生時代は理系であったにも関わらず、学生時代には文学作品を好んで読んでいました。そこで色々なイマジネーションを働かせたり(これは風景を考える上で非常に重要だと思います)、その時代背景などに触れたりすることができたと思います。

効率ばかり求めて、楽しいのかなー。娯楽の楽しさではなく、教養を身につけることの楽しさも知った方がいいのに。



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Last updated  2006年12月18日 12時04分11秒
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