カテゴリ:歳時記
日本には、「朝顔」、「昼顔」、「夕顔」があって朝顔と夕顔は近年のGカーテンブームも手伝って夏の風物詩となっていますね
朝顔、夕顔についての花の種類、鑑賞法等々いまさら私がとやかくいう気はありません。 がしかし、この夕顔については2つの異なった植物を同一名称(夕顔)で呼んでいるといったら驚かれる方もあるではないかと・・・・ そんな、バカな・・・・なんの話しか! 夕顔と聞けばどんな花を連想されますか?私は即座に次の写真の花を思い浮かべます。 <夜顏>別称:夕顔とも云うと記してあります <全体から> ところがこの夕顔は「夜顏」が正式名称であって別称は「夕顔」というからややこしくなってきました。 この写真の「夜顏」は明治時代に入ってきたそうですが既に「夕顔」はとうの昔の平安時代から存在しておりました。 現物としては勿論の事、文学としても、かの有名な「源氏物語」五十四帖の巻の一つ第4帖。また、その巻に登場する架空の女性の通称として使用されています ※私は源氏物語は全く知りません第1帖「桐壷」を学習した程度です その平安時代に存在していた夕顔というのは次の写真をご覧ください <夕顔>通称「かんぴょう」とよんでいます これは鑑賞用にはなりません。畑にカボチャのように横這いになって伸びていきます <夕顔の実>薄くリング状に剥いで乾燥させるとかんぴょうになります 明治時代になって新参者の「夜顏」が入って来て「私は夕顔」だなんて言いだすからややこしくなって来ました。 上の写真が正真正銘の「夕顔」なのです 今ではこの夕顔は 「かんぴょうの花」とか「かんぴょうの実」なんて云っていますが、新参者にお株を奪われてしまってさぞかしご立腹の事と思いますね。 既に標準和名の「夕顔」が存在したにも関わらず「夜顔」の別名を「夕顔」にしたのは何故でしょうか? 「夜顔」といえば、「夜の顔」の何処となく怪しげなイメージが付きまとうからなのでしょうか、それとも「ヨルガオ」より「ユウガオ」の方が言い易いか馴染み易いからなのでしょうか? 明治時代は翻訳の時代とも云われます 英語が入り明治政府お抱えの翻訳者が盛んに活躍したのだそうですね。 あれだけの単語、小説を和訳したのは明治人の功績でした ところが何時ごろかその職業もなくなってしまって野放し状態が続いたため現在ではそのまま使用している言葉もあるようですがもっと母国語の日本語を大切にしてもらいたいですね <余談>ですがデモクラシーを「民主主義」と翻訳した福沢諭吉だそうですが現在でも活き活きとして実に上手いというエッセイを読んだことがあります。 まさか、この人たちのミスティクとは思いたくないのですがねえ・・・ 紛らわしい呼び名を訂正しなかったのは後世のひとの責任ではなかったかと・・・ 自宅は農家ですのでこの違いは解かっていて、カンピョウの言葉を使用して2つを区別していましたが夕顔の正式名称が「夜顏」であるとは今回初めて知りました。 あっ、そうそう、5月の苗の植え付け頃とのなるとホームセンタでは「夜顏」の苗が「夕顔」と書いて販売してありますね それにこのパソコンも「よるがお」とタイピングしても漢字変換してくれませんでした いよいよ8月、今朝も叩き付けるような雨が降りました 猛暑はイヤですが従来の日本の夏らしい夏になって欲しいものだと思います。 <お断り>写真はすべてWEBサイトから借用しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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