カテゴリ:歳時記
お正月も 5日となりました。
当地では「ゴカンチ」と言って家内で神さん事(神事)を行っていましたが、言葉だけ残っていて普段と変わりません。 地区では「お陽待ち」と称して小さな祠に参拝し同じ境内のお籠り堂に集合して冬至が過ぎて陽光が北半球にやってくる「一陽来復」なので農作物の豊作と「家内安全」の神事を行ってきたのですが、平成年間になって廃止しその形式のみが残っています。 ーーーーーーーーーー 日記を大急ぎで・・・・ 元旦は地元氏神さんへ初詣・・・・閑散としていました。 25に降った雪は融けません・・・・ <八社巡り>宣伝タオルです 近郊に「赤猪岩神社」、「楽楽神社・・・ササフク」が在るので出かけてみました。 干支にあやかって「赤猪岩神社」は大人気! といっても田舎ですからさほどではありません。 ※この神社は大国主命が兄弟のいじめにあって(近くの天万山からイノシシだと言って赤熱した岩を投げおろして絶命させたのですがヤサカ姫の手厚い看病で蘇生した・・との伝承が古事記に載っているそうです) 平成初期に山陰漁場の「松葉ガニ」にキチンーキトサンが手術の縫糸になったり、傷口の回復に絶妙の効用があるという「鳥大医学部」発見で有名になってからはどんどんと参拝客が来るようになりました。 境内では焼けた大岩が祭ってあり想像を豊かにさせてくれます。 <WEB>より拝借です 楽楽福神社は暗くなったので撮れませんでしたが壮大で鬱蒼とした景観に歴史の重みを感じました。 ーーーーーーー 3日の初春のような陽天に誘われて隣県、美保関神社参拝(40km西方)となりました。 出雲大社となると100km程度にもなるので・・・(出雲大社)は年齢の節目、節目で詣でることにしています。 <美保関港> ※島根半島の殆どの港は北、北西に面していますがこの美保関港は南が湾になっていて絶好の風待ちの港でした。 元弘の役で隠岐配布となった後醍醐天皇はここで10日も風待ちであった 昔の美保関の冬場は風待ちの船で大賑わいだったでしょうね。賭け事、賭博も盛んだったとか(笑) <美保神社> <参拝>整然と4列縦隊で日本人はお行儀がいいですね <参拝終えて> <青畳石通り>通路石に雨が降ると青色に染まる不思議な景観が醸し出される通路で大正、昭和の歌人、文人等が訪れて歌詞、短歌、色紙保管されています。 <仏国寺>前述の後醍醐天皇逗留寺 <美保関灯台遠望> <過去には忌まわしい海難事件が・・・・> ※昭和2年8月、この沖北東40kmで海軍史上空前の大事故が起きた。深夜の練習中「蕨」に巡洋艦「神通」、駆逐艦「葦」に巡洋艦「那珂」が激突して百余名の水兵が水没した。境港「台場公園」に忠霊塔が在るのはこの事件です。 <灯台>明治37年11月 点灯 大急ぎで周遊してきました。帰路は米子空港(鬼太郎)に寄って一休みしたのですが紙面上割愛です。 お付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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