教育ってなんだろう・・・
木綿豆腐・くるみ・りんご を使って白和えを作りました。 長男がいないので、二男に味見をしてもらいました。 「ぼく、いつもの野菜の方が好き。 りんごのしゃきしゃきがあかんねん」と。 私はりんごのしゃきしゃきがおいしかったんですけどね。 今日は以前、書いたことがあるMくんのことを書こうと思います。 Mくんはお隣さんの男の子。 わたしとはまるで双子のように大きくなりました。 Mくんには肢体障害・知的障害・言語障害がありました。 幼稚園・小学校は同じでしたが、 中学は別、 私は地元の公立中学校、Mくんは養護学校(今は違う言い方かな)に なりました。 小学校時代のMくんは「読み書き」が全くできませんでした。 Mくんのことを知る誰もがそれを当然だと思っていました。 それは、Mくんのおかあさんもふくめて。 たとえ、文字をなぞることができたとしても 文字の概念を理解し、文字を覚えることなど到底できないと思って いました。 差別とかではなく、ごく当たり前のようにみんなそう思っていたんです。 それは、小学校の先生も同じでMくんはだれからも 文字を教えてもらうことはなかったはずです。 私はMくんの通訳者(言語障害もあったため)として よくMくんのいる養護学級にいましたけれど、 文字を習っている光景を目にしたことはありません。 中学2年のある日のこと。 Mくんのおかあさんが数冊の書き方のノート手に 「見て見て見て~」とやってきました。 ノートを開くと波打った「い」「う」「へ」などの文字が 並んでいました。 「これ、Mが書いたんやで」と、 Mくんのおかあさんがにこにこしながらはなしてくれました。 他のノートにはMくんの名前の練習もありました。 「自分の名前も書けるねんで」と、 思いっきりうれしそうなMくんのおかあさん。 私も母もこれには本当に本当にびっくりしました。 「簡単な絵本やったら自分で読めるねんで」と はなすMくんのおかあさんも信じられないような口ぶりです。 私も母もこころから 「すごいなあ~すごいなあ~」を連発しました。 もう、それ以外の言葉が出てこなかったんです。 それぐらい、ものすごいことだったんです。 しばらく、Mくんの力のはいった文字を見ていました。 直線も曲線もすべて細かく波打ってます。 しかし、その文字はMくんの中に文字を理解し覚え書く能力が 眠っていたことを証明していました。 Mくんのおかあさんが帰ったあと 母がしみじみ言いました。 「子育ての喜びに障害のあるなしは関係ないなあ~」と それから、こんなことも 「教育ほど難しいものはないなあ~ Mくんの中には目に見えない能力があったんやな~」と。 長男が中・高生に英語を教えはじめて 「人に教えるってめっちゃ難しいな~」と 言っているのを聞いて、 あの日のことを思い出しました。 真の教育とは・・・ ひとことで言えないかもしれないけれど あえて言うなら・・・・・ あなたなら?