槐目線で見る『美しい罠』/第20回「午後の薔薇風呂」2/2
不破の部屋の扉から息を潜めてその時を待っていると、ほどなくして敬吾がやって来た。薔薇風呂につかり、ほどよく肌を上気させた類子に敬吾が言う。「いかがです?ご気分は」類子は一瞬、ほくそ笑む。しかしハッとした振りをして振り返った類子を見て、敬吾はニヤニヤと笑いながら扉の中に入って来た。類子「こんな所へ何の用?!」敬吾「お背中でも流そうかと思いましてね」類子「・・・来ないで!人を呼ぶわよ!」敬吾は類子に歩み寄って言う。「そんなに嫌わないで下さいよ。仮にも僕達は親子じゃないですかぁ」その時、類子はバスタブの底に何かを発見したような仕草をした。湯の中から手を出すと、その手にはしっかりとカミソリが握られていた。「誰がこんなこと!貴方なの?!」敬吾は両手を上げて言う。「まさか。大事なお母さんを傷つけたりしませんよ。さあ、いいからそれをこっちへ渡して。怪我でもしたら大変だ」類子は恐る恐る、敬吾にカミソリを手渡した。バスタブの中の類子の肩に指を這わせて敬吾は言う。「・・・それにしても、親父が少々羨ましい」その時突然、類子がバスタブから立ち上がった。敬吾に、そして隠れて監視している俺に、類子は惜しげもなく白い裸身をさらけ出す。その体は薔薇の香を放ち、ほのかに薔薇色に上気していた。敬吾は面食らって息を飲む。類子「何を驚いてるの。女の裸が珍しいわけじゃないでしょ。そこのタオルを取って」敬吾「・・・ああ」敬吾が横の籠に入っていたバスタオルを手渡すと、類子は表情を和らげてカミソリを持った敬吾の手を取った。敬吾の表情も少し緩む。・・・その時、廊下から澪の声が聞こえて来た。「類子さん、ご用って何?」顔色を変えた敬吾の手を強く掴んで類子が叫び声をあげる。「澪さんこっちよ!助けて!!」驚いた敬吾が類子の腕を振り払う。「離せよ!」澪がバスルームの扉を開けた時、敬吾はカミソリを振りかざしていた。澪が驚愕するのを確認して、類子はわざと慌てたようにバスタブに入る。声を震わせて澪は言う。「敬吾!何してるの、貴方!!」敬吾の手からカミソリが落ちた。澪「貴方って、一体・・・」敬吾「澪、誤解だ!話を聞いてくれ!」青ざめてその場から走って出て行く澪を、敬吾は必死な顔で追った。二人が去ると、俺はバスルームに入って類子に声を掛けた。「上手くいきましたね。これで彼も当分、貴方に手を出そうなんて馬鹿な気は起こさないでしょう」俺は傍に置いてあったバスローブを手にして言う。「・・・しかしカミソリはともかく、突然立ち上がるとは。私も少々驚いた」俺の広げたバスローブに身を隠すようにして、類子はバスタブから出ようとした。類子の肩に、一枚の薔薇の花びら。その紅い色を見て、俺は先ほどの類子の上気した裸身を思い出した。バスローブを背中から掛けた俺の手を類子は突然掴み、その手を胸の位置にあてがった。そのまま類子は振り返り、強い目で見つめて言う。「・・・忘れたの?私は毎晩、好きでもない男に抱かれてるの。それに比べたら、肌を見せるくらいどうって事ないわ。でもこれで貴方にも分かったはず。私が金の為にどれだけ体を張ってるか。貴方も大金を手にしたいなら、約束した代償はきちっと払っていただきたいわ」バスルームから出ていく類子。俺は類子のつかっていた薔薇風呂を見つめた。まだ揺れている水面の花びらを一枚取る。俺は自然に、その花びらを唇に当てていた。夕方。澪の代理人から婚約解消したいとの電話が不破宛に入った。帰って来た不破と川嶋さんにその事を告げると、川嶋さんは怒ったように部屋を出て敬吾のいるサロンに向かった。不破はただ、口を横一文字に結んでいた。敬吾の器では、こんないい縁談がすんなりまとまるわけがないと年輪を経たその唇が物語っていた。翌日。自分の部屋で調べ物をしていると、突然澪が部屋の扉を開けた。澪「ごめんなさい。敬吾との婚約解消を申し出ておきながら、ここへ来てはいけないと分かってはいるの。・・・でも。あなたにだけはどうしても話しておきたくて」槐「どうしました、一体」澪「槐・・・私が何故、敬吾との婚約を解消したのか・・・それは何も敬吾のせいなんかじゃない。本当は、私の心には敬吾ではなく、貴方がいると分かったからよ、槐」澪は涙をこぼし、俺にすがりついて叫ぶ。澪「これ以上、自分を偽るなんてもう出来ない!貴方を愛してるの、槐・・・」突然の告白に俺は動揺した。心の奥底に仕舞ってあった、淡い思いがその動揺に、そして澪の体温に共鳴する。類子の言うように、俺は秘かにこの暖かさを欲していたのだろうか。ずっと敬吾に寄り添っていて、おとぎ話のお姫様のように幸せを待っていた澪・・・。その澪が今、この俺を欲している。俺の手は澪を抱こうと微かに動くが、類子の言葉が頭をかすめ、その動きに戸惑いを見せた。『・・・金の為に抱かれるか、金の為に抱かないか。それで5分と5分』拳を握りしめ、そして開き。俺の手が震える。澪を抱き締められない事に苦しみを覚えながら、類子の裸身を思い浮かべた。類子の課した代償は、他ならぬ類子の手で硝子の足枷へと形を変えて行く。俺は目をつぶり、溢れそうになる感情を必死で押さえていた・・・。(ひとこと)今回書いていて、ちょっと別のエピソードを思いつきました。それは28話の後に載せます。草太のお話です(^-^)こんな風に、エピソードを埋めていくのが楽しいんですよね・・・。