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2010年04月28日
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カテゴリ:
竹沢尚一郎『人類学的思考の歴史』(世界思想社)を読了。

読みやすくて、頭の整理に役立つ本。
だいぶ、著者の色が強く出ているので、一般的な人類学の入門書とはいえないけど・・・。

今後、人類学が果たすべき役割についての提言が書かれていたのはよかった。
それに関連する部分をいくつか引用。

p.p.100-101
 カメルーンで調査をしたゲシーレも、南アフリカをフィールドとするコマロフ夫妻も、妖術信仰が単に「伝統的な」ものではなく、むしろ熱帯アフリカの人びとが経験してきた近代化と整合的なものであることを認めている。国際通貨基金が課す構造調整によって国内の雇用は不安定になり、バナナや綿花など、農民の多くが依存する一次産品の価格は国際的な需要と投機によってたえず変動している。国内に産業基盤をもたないアフリカのマーケットには、外国でつくられた商品が一方的に流入し、人びとの欲望をかきたてるばかりである。政治家たちは密室で協議や陰謀をめぐらせて外国からの援助を食い物にし、豊かな外国機関や援助団体とコネクションのある人間だけが羽振りを利かせる一方で、住民の大半は貧しさのなかで日々の暮らしを送っている。計算ではなく打算だけが羽振りを利かせ、いかなる意思も未来を予測不可能ななかで、欲望だけが過剰に膨れ上がり、あまたの魑魅魍魎が獲物を狙ってうごめく世界。アフリカの人びとが経験しているそれは、妖術師の暗躍する構図になんと類似した世界であることか。
 社会学とは「近代社会の自意識」だといわれるが、そこでいう「近代社会」とは機能主義者のイメージした有機体モデルに似て、複数の器官=機関が秩序ある運動をくり返すというものであろう。しかしそれは、一定の秩序形式と自己決定権をもつ先進諸国の「社会」に適しかモデルであって、アフリカの人びとが見ている「社会」は違った外貌を呈しているのではないか。かれらが集団的にもっている「自意識」は、これだけ妖術信仰が猖獗をきわめていることを見るなら、無数の妖術師たちが獲物をむさぼり食う妖術師の世界にもっとも親和性をもっているのではないか。


p.328
グローバル化とネオリベラル経済の浸透がもっとも暴力的な力をふるっているのが、脆弱な国民国家と国民経済の枠組みしかもたない、いわゆる第三世界、第四世界の諸社会であることはいうまでもない。とすれば、その現場に立って、人びとが抱えている困難と、それを乗り越えるために試みられてきたさまざまな実践を身近から観察し、現地の人びととの対話を通じてその理解を深めていくことは、今日の世界が課している悲惨と強制と、そして変革の可能性とを明らかにするにはもっとも有効な方法のひとつであろう。世界システムやネオリベラル経済か周辺地帯(中核諸国のなかにっくりだされつつある周辺も含めて)でおこなう搾取や抑圧がなければ機能しえないのであり、それゆえその地点から世界システムやグローバル経済をとらえ返すことで、それがどのように改変されなくてはならないかを示唆することも可能になるのではないか。

p.329
人類学とは、なにより理論である前に実践である。人類学に理論が必要ないというつもりはいささかもないが、それは、現実に世界中のさまざまな地域でおこなわれている多様な実践から出発し、そのより深い理解と厚い記述のためにたえず現場に立ち返りながら理論を適用し、修正し、さらに新たに組み立てていくという反復の実践である。

p.330
人類学は、たとえ「あと追いの学」として揶揄されようとも、人びとが生きている世界がつねにすでに先へと進んでいることを認めることからしか出発できないであろう。人びとが生き、その「生」を組織し、操作可能な領域を拡大するために格闘しているその世界を離れては、人類学は存在しえないはずである。その意味で、人類学の内外ですでに実現されている社会的成果を踏まえながら、その先をめざずして民族誌を書きつづけていくことこそが、人類学に望まれている営為であるに違いないのである。 


ある先生によると、人類学者というのは、地面にはいつくばって、(たとえそれが幻想だと言われても)本当のことをひとつずつ拾い集めようとするアマチュアであって、理論を振りかざしてものごとを批評する「プロ」ではないのだそうだ。

なんて高いハードルだろう。
私も、そんなふうになれるといいんだけどなーように、do my best.





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Last updated  2010年05月01日 00時14分29秒
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