テーマ:産業遺構・戦争遺構(9)
カテゴリ:千葉
第二次大戦中、千葉は軍都だった。旧千葉駅近くには鉄道連隊が置かれた。
千葉~津田沼には現在、JR総武線、京成線が走っているが、第3のルートがあったことはあまり知られていない。 以下は米軍が空襲のために作成した地図。(クリックで拡大)。中央部分714の位置に伸びているのが軍用線路だ。 今回のサイクリング(21日)は廃線となった千葉~津田沼間の軍用鉄道跡を行く。現在、線路は道路に変わっている。 戦時中の千葉駅は現在より東寄りにあったが、大雑把な言い方をすると、モノレールの千葉駅から千葉公園駅までの区間はほぼ軍用鉄道のラインだ。 ●千葉公園(鉄道第一聯隊作業場) 鉄道連隊の演習場があった場所。前回も戦争遺構を紹介したが、ほかにも大物の遺構がある。 千葉駅をモノレール沿いに行くと、千葉公園の管理事務所がある。この敷地内に、巨大なトン ネルのようなものが。演習の一環で作られたものだろう。 現在は事務所関係者の物干しになっている。このトンネルは千葉公園にある戦争遺構では最大のもので、モニュメントとしての価値が高い。洗濯物を干すのも有益かもしれないが、市民に開放してもよいのでは。 軍用線路は穴川の辺りまではモノレール下ではなく、沿うような形で走っていったようだ。千葉公園の隣には競輪場があるが、この前の通りをまっすぐ走る。 地図上の丸で囲った点の辺りに現在は作草部郵便局がある。地図部分にある線路はモノレールに並行にして走っている。 そこをまっすぐ進んでいく。次の写真は千葉経済大学の近く、自転車は進行方向を進んでいる。ここの付属高校は昨年、夏の甲子園にも出場した。 軍用線路の軽便鉄道60センチだったようだ。このくらいの幅でも十分走れたのだろう。 ●作草部公園(陸軍歩兵学校) しばらくすると、モノレールの天台駅の手前。ちょっと線路を外れて、右に曲がると、作草部公園がある。四角で囲った部分だ。 ここの入り口には古木がそびえ立っている。 ここは陸軍歩兵学校跡。記念碑は公園の奥の方にひっそりと置かれている。 「平和之碑」と書かれ、下には「陸軍歩兵学校之跡」と刻まれている。 明るい感じの公園でないが、夏場は木陰が涼しく、未就学児の声が響いていた。 1945年7月7日未明の”七夕空襲”では、ここも罹災している。 続く 写真はCaplio GX100で撮影。 《新品》RICOH Caplio GX100 VFキット Map価格 57,905円 (税込 60,800 円) 送料別 去年の日記は? 2006/07/21 石窯でおいしいピザが食べるために お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[千葉] カテゴリの最新記事
|
|