テーマ:近代化遺産を歩く(146)
カテゴリ:近代化遺産・検見川送信所
真珠湾攻撃の暗号「ニイタカヤマノボレ1208」は、検見川送信所から発信されたといわれる。そう過去記事で書いた。
写真はCaplio GX100で撮影。 《新品》RICOH Caplio GX100 VFキット Map価格 56,000円 (税込 58,800 円) 送料別 ネット上で複数の記事を見かけたので、「と言われる」と書いたのだが、結論から言うと、間違いだった。 「日々の日誌」というブログに、バスガイドさんから「検見川送信所からニイタカヤマノボレの暗号が発信された」と説明を受けたという話が出てくる。 これはバスガイドさんの勘違いのようで、ブログ筆者の方が書いているように、実際に暗号が発信されたのは同じ千葉県船橋市行田の海軍行田送信所のようだ。 長崎新聞のHPに詳しい記事が載っている。 以下は引用。 当時の通信記録を調べた防衛庁防衛研究所調査員の菊田愼典さんによると、正確にはこうだ。 暗号文は開戦六日前の四一年十二月二日、瀬戸内海に停泊中の連合艦隊旗艦「長門」が打電。広島県の呉通信隊から針尾など国内三つの送信所に分かれて海外に送られた。このうち針尾送信所は中国大陸や南太平洋の部隊に伝え、真珠湾を攻撃する機動部隊が受信したのは千葉県の船橋送信所を経由した電波だった―。 行田送信所は既に取り壊され、現在は団地になっている。円形に区分けされた土地だけが名残を残す。 なんだかミステリーサークルのよう。自転車で走ってみたくなる場所だ。でも、きっと迷ってしまうだろうなぁ。 検見川送信所を保存しよう(仮ページを作りました) 去年の日記は? 2006/8/12 実家のトマト! ゴーヤ! ナス! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[近代化遺産・検見川送信所] カテゴリの最新記事
|
|