テーマ:近代化遺産を歩く(146)
カテゴリ:近代化遺産・検見川送信所
千葉県検見川町鳥瞰図というものがある。松井天山という人物が鳥の視点から町を描いた昭和5年1月の古地図である。
松井天山(1869年生まれ)という人ははっきりしないが、天山は号で本名は哲太郎といった。千葉、津田沼、幕張の鳥瞰図も描いている。 これにも、検見川送信所はしっかりと載っている。 「千葉県検見川町鳥瞰図」抜粋 まだ、空中に張り巡らされた空中線はなく、鉄塔は5本だけ。周囲の土地は売り出し中とある。当時は海岸を目の前に控えた仲町が中心で、送信所の辺りは僻地であった。 開局当時の検見川無線送信所 「検見川無線史」より 大きく開けた平地に立つ白亜の局舎は見事だったろう。検見川公民館が編纂した地域史「けみがわ」(編集・検見川郷土史編集委員会、平成4年11月10日発行)にも、局舎は「遠くから見える強固でスマートな建物でした」と書かれている。 一面は甘藷畑だったとは聞いていたが、地図からも見て取れる。T字型の局舎がそびえ、海に向かって描かれている。周囲を囲む塀もある。 今では、「検見川送信所」という名称が浸透しているが、鳥瞰図には「検見川無線電信所」と書かれている。また、初代所長の菊谷秀雄氏が書かれた回想録も「検見川無線の思い出」、東京無線部が発行した記録集も「検見川無線史」(検見川無線史編集委員会/編集)、昔の公民館の案内地図にも「無線」と書かれており、当時は「検見川無線」が俗称だったようだ。 いつから「送信所」という言い方が一般的になったのかは分からないが、同じく無線局には岩槻受信所があり、それとの区別をつけるためだったのかもしれない。岩槻受信所は、日本武道館などを手掛けた山田守氏によるもの。既に取り壊されている。 岩槻受信所 日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。 賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。 <a href="http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/" target="_blank"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/47/0000060947/20/img2159e7f1zik6zj.jpeg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a> 去年の日記は? 2006/8/31 夏の終わり、プール清掃 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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