インド旅行 6
船ホテルから降りて、またバスでアラビア湾に沿って北上した。そしてコチ(又はコチンともいう)まで3時間程走った。此処は、バスコダガマが1500年頃に,アフリカ回りでインドに着いた場所らしく、その教会があった。要は大航海時代の有名な記録場所なのだ。そう言えばコロンブスも1492年にアメリカを発見し、インドと思ったそうだからね。 バスコダガマを祭った教会です。 面白いのは、コチンの湊に、中国式の4本棒の魚採り方法の網が無数にあった。しかもそれが巨大だった。インドの人が中国で見て、この漁法を始めたそうだ。 横で見て居ると、何度も何度も網を持ち上げ、魚を採り、即其処で販売していた。ボラの子が多かった。 こんなに大きい網なのです。持ち上げるのに、6~7人がロープを引いて持ち上げていました。 そしてインドは職業に寄るカースト制度が残っている国で、洗濯のカーストしか洗濯が出来ない場所を見た。案内人に質問したが、私の質問の意図が理解出来なったようで、私の質問は、誰かが大きな会社を設立し、カーストは関係なく、希望者を雇えるかと言う意味だったが、その回答は得られなかった。会社なら、帳面の仕事も、生産の仕事も、掃除の仕事も、販売の仕事も、色々あるので、その点の質問だったのだが。 カーストとは、その階層の職を守っているのか、または発展の阻害なのか、良くは分からない。 夜は、パントマイムの劇を見た。要はセリフ無しの劇なのです。始めは1時間も掛けて、顔のお化粧を見せ、その後で、劇をするのです。1時間もお化粧を見るのは、飽きると思ったが、顔が段々と変わって行くのは、結構面白いものだった。そうそう、この劇団は全て男性です。女性役も当然男性で、歌舞伎の様なものでした。 この様にお化粧を見せる。そして劇が始まった。 クライマックスで刺し殺す所です。 次の朝は、飛行機でデリーまで行ったのですが、3時間30分も掛かりました。インドは大きな国なのですね。インド旅行の総括今回の南インドだが、実は少々問題も在った。ツアー旅行の楽しみの1つには、参加者達との付き合いと言うか、話し合いが大きいのだが、変な人が混じっていたのだ。合計で8名しか居ない小さなグループだったので、添乗員の経費も出ない位のツアーだと思う。つまり、一人でも減ったら、このツアーは中止となるギリギリの人数だろうと想定するが、その中のお年寄り夫婦だが、お爺さんの方が、我儘だったのだ。しかも高齢で体力が無く、旨く歩けない。だから観光で歩く場合が多いのに、我々はその夫婦が追いついて来るのを待つ時間ばかりとなる。その上耳が遠く、我々の話を聞き取れないのは仕方無いが、自分は小さな声でしか喋らない。しかも東北のズーズー弁で、意味不明が多く、非常に困ったのです。話し掛けられたら返事をしないと失礼なのに、意味が分からず、聞き返すばかりで、返事が出来ないのだった。まあ、それは身体的な問題であり、私が指摘するのは悪いのだが、問題は自慢話かしないのだった。如何に自分が上流の良い家柄出身かを自慢するのだが、それも同じ事ばかり言う。まあ反面教師として、自分はそうならない様に注意すべきと思うが、その夫婦は毎月海外旅行に行って居るそうで、2月はラオスに行くと言っていた。同じツアーの人は迷惑だろうと推測する。ただ不思議なのは、奥さんも小さな声で困ったのだが、夫婦での会話が成り立っていた。つまり、小さな声でも奥さんの声は聞こえるようなのだ。私は声が大きいのに。聞き取れないお爺さんなのに、どうして奥さんの声なら、小さくても聞こえるのだろうか。耳も訓練に寄って、機能維持が可能なのだろうか?つまり歳を取って耳が遠くなっても、訓練に寄って、或る音程の音は、聞こえるのだろうか?まあ、今回のインドで3回目となり、北、中央、そして今回の南と回ったから、これでインドは卒業となりそうだ。 そして帰国して感じたのだが、日本は綺麗なのだ。そして空気が清々しい。つまり道路にゴミが落ちて居ない。インドでは、どの道路も車の走る中央部分は、車がゴミを跳ねるのだろうが、道の端の方は、何処もゴミだらけでし、空気は何か、埃っぽく、街路樹の葉っぱは、埃で真っ白に成っていた。ただ、私も歳を取り、旅行に対するワクワク感が減ったような気もする。歳と共に、色々な事に対する興味が減って行くのだろう。