フランスで厳しいデモが発生!
ガソリン税のアップ位で、一体どうなったのだろう? 民衆の不満が溜まっていたそうで、爆発したのだろう。 発展途上国の訳の分からない国なら、色々あるだろうが、フランスなのだ。此処までデモで暴れると言うのは、ガソリン税の不満を元に、別の何かが爆発したのではなかろうか。 恐らく、治安維持の圧倒的な力で押さえつけられるだけだ。この様な何かの切っ掛けで、自然的に偶発的に発生するデモは、烏合の衆であり、少々群衆が集まっても強力な力には成り難い。 要は優秀なデモ指導者と、何かの問題意識で纏まった群衆で無い限り、単なる暴力で終わってしまう。 大昔だが、韓国の朴正煕大統領が暗殺された時、私は韓国の馬山市に住んで居た。それまでの政府の厳しい押さえ付けが緩くなり始めると、各地でデモが発生し始めた。 丁度、私は大通りに面したマンションの10階に住んでいた。ベランダの下の大通りで、数万人の群衆がデモで集まり、道路を埋め尽くし、自動車を引っくり返したりし始めた。 其処へ、トラックに乗った数百人の警察が遣って来て、群衆と対峙した。人数は圧倒的に群衆が多い。 だけど、訓練された警察が、30名位で、盾を持って丸い輪を作る。その中に1人の指揮官が入り、指揮官の笛の元に、丸い輪が自由自在に群衆の中を割って入って行く。 そんな盾で防護された円陣を5~6グループ作って、群衆の中に突入して行った。デモで何千人集まろうと、それは烏合の衆であり、30人の警察の円陣が圧倒的に強いのだ。 そして、大声でアジっているデモの指導者らしき人を捕まえては、輪の中に引き込み、数名の警官が輪の中に入って、輪は即減った警官分だけ小さくなる。 そして円陣の中ではアジっていた若者をボコボコに殴って、円陣が笛に合わせて移動して、網を張ったトラックまで連行し、網の中に放り込んで行く。 それを繰り返している内に、アジるデモ指導者が段々少なくなる。そして警察がマイクで解散を呼びかけると、デモは段々と自然消滅した。 そんな動きを10階のベランダから眺めたものだった。映画を見るより、ハラハラと面白かったのを覚えている。 その後、デモはアッチコッチに広がり、最終は光州市に暴動が移った。光州市では、群衆が武器庫を襲って銃を持ったから、警察では押さえ付けが出来ず、軍隊が出動し、数百名が銃弾で死んだのだった。 当時の政府発表では死亡者は170名だが、未だに、死亡者数はハッキリしないようだ。だが、それで一連の暴動は終わった。 その後、光州暴動の時、指揮を執っていた全斗換少将が、後に大統領に成ったが、退任してからは、国民の反動でイバラの人生が待っていた。 恐らく、フランスの今回の暴動も、多分これで収まるだろうが、収まらないとこうなるだろう。 要は、烏合の衆と、指揮官が居て訓練された団体とは、全く力が違うのです。