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ひよきちわーるど

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2005.09.20
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カテゴリ:think about myself


小さい頃から
何を考えているのか分からないと言われ続けてきた。

自分が今 何を考えているのか
わざわざ他人に伝えようとも思わなかったし

自分からすすんであれこれとしゃべるタイプでもなかった。



今にして思えば
人との距離を常に保っておこうとしていたのかもしれない。







人並みに親の愛情を求めてはいたのだけれど

どうも私は
可愛気のある子どもではなかったらしい。

親からは よく
子どもらしくない、可愛気がないと言われていた。






いつだったか、小学校1年の頃
下の弟が熱を出し、
母と弟と私、3人でタクシーに乗り病院にまで行ったことがある。

その時、弟は母に抱かれ
私はその姿を横目で見ながら
いいなぁと ぼんやり考えていた。



その数日後
その弟の風邪がうつったのだろう、私もとうとう高熱を出し
母と一緒にタクシーに乗り込み病院にまで行った。 

タクシーに乗り込むとき
秘かに「私も抱っこしてもらえる」とわくわくしたものだった。




けれど 母は私を抱っこすることはせず

私はタクシーの座席に実にお行儀よく座り
その小さな頭でいろんなことを考えていた。



私がお利口さんじゃないから抱っこしてもらえないのだろうか。

私は抱っこしなくても大丈夫だと
お母さんは思っているんだろうか。



タクシーはどんどん病院に近付いている。

いま お母さんに抱っこしてって言わなきゃ
これからもずっと抱っこしてもらえるチャンスなんてない。



心では 言おう言おうとしているのだけれど
その奥底では ちょっと諦めていた。






父にたいしてもそうだった。

7歳の時、ふと
父と手をつないだ記憶がないことに気付き

今からでも遅くはないから
お父さんと手をつなごうと思ったのだけれど やはり言えなかった。




言い方が分からないとか、甘え方が分からないとか
そういうものではなく

心の何処かで諦めてしまっていた。



その諦めを砕いて 親に自分の気持ちを伝えるほどのエネルギーが
残っていなかった。


そのやっかいな「諦め」は
一体どこから来ていたのだろう。







こんな事書くつもりなんてなかったのだけど
もう、書いちゃおうかな。

いいよね。



ずいぶん前の日記にも書いたことなんだけれど

自分が頑張ったら
自分が賢かったら

父に可愛がってもらえるかもしれないと思って
がむしゃらに頑張ってた。



中学の頃も、高校も。
そして大学。

自分が頑張ったら 絶対いつかは私のこと、
理屈抜きで可愛がってくれると思ってた。





いつだったかな、
娘が2歳になる頃かな?

その時、私、娘を連れて1年ぶりに九州に帰ったんだよね。




で、もうすぐ娘が2歳になると言うことで
近所のケーキ屋さんで小さなケーキを買ってきて

可愛いお花も買ってテーブルに飾って。




嬉しかった。

娘がようやく2歳になるということも。
そして今、自分が九州の親元にいるということも。





親元を遠く離れた場所で初めての子育てをするって
やはり想像以上に緊張して
毎日綱渡りをするような感覚だった。

ちょっと熱を出したといっては落ち着かなくなり
頭を打ったといってはすぐに病院に駆け込んだ。



そんな緊張の毎日を過ごしていた私にとって
娘共々、親元にいられると言うことは何より安心できることだった。




お誕生日のケーキやお花をテーブルに飾り
娘をいすに座らせ

お誕生日のお歌を一緒に歌い

いよいよケーキを切り分けるときになって
私はナイフがないことに気付いた。


すぐに台所に行きナイフを持ち
「危ないからどいてね~!」といいながら部屋に入ってきた私を
父がいきなり すごい剣幕で怒鳴り始めた。



最初私は 何故自分が怒鳴られているのか
全く理由が分からなかった。

きょとんとしながら怒鳴られていたわけである。




あとで気付いたのだけれど その時の
「危ないからどいてね~!」の言い方が
父の癇にさわったのだろう。

私にしては珍しく
ちょっとはしゃいでいたから。



そのはしゃぎようが
父は嫌いだったんだなと思った。






でもね、あのときは本当に嬉しかったんだよね。

娘がやっと2歳。
おまけに親がすぐそばにいてくれて

あんなに遠かった両親が自分のすぐそばにいてくれて

私にしては本当に珍しく
はしゃいでいたんだよね。







その時、怒鳴られて やっと気付いた。


血がつながっていたとしても
相性というものは本当に存在するのだなと。

私ね、それまで
親子の間に相性なんてないと思ってた。

相性が合う、合わないだなんて
本当の親子だもん、絶対にないって思いこんでいた。





でもね、やっぱりあるんだろうね、そういうの。

で、たまたま
父と私の相性が合わなかったと言うことだけのことで。






だから私がどんなに頑張っても

例えば 私が世界で一番すばらしい女性になったとしても

父が私のことを
ものすごく可愛がってくれることはないんだなぁって。





早く気付きなさいよって思ったね。


そしたら私、
あんなに無理して頑張る必要もなかったのに。





それまで私、父と結構けんかばかりしててね。

いろいろ反抗してたんだよね。

父だったら私の言うこと、分かってくれるかもって。
こんなに一生懸命訴えれば いつかは理解してくれるかもって。




でもね、そういうけんか、反抗って、
父が私のこと、すっごく好きでいてくれるはずだと思っていたからできたことであって

今、親子にも相性ってあるんだなぁ、って
私、どんなにいい子でいても頑張っても、
父に可愛がってもらえることはないんだろうなって

そう思ったら

なんだかね。


もう、あれ以来 けんかも反抗も何もしてないよ。







怒鳴られたあとに 妹が私をかばってくれたのだけど

私は誰に言うともなしに

「いや、もうね、小さい頃からずーっとこうだったから
 大丈夫だよ~。

 もう、慣れたからね、大丈夫、大丈夫。」



もう、馬鹿みたいに「大丈夫」を繰り返してしまった。





こんな 相性の悪い娘、大学まで出してくれて
親に本当に迷惑かけちゃったな・・・っておもった。

何だか、いたたまれなくなってね。






父には感謝してる。

ここまで育ててくれて
そして大学まで行かせてくれて。

地元の大学には行かず
東京の私立に行った私を一言も責めないで。



お父さん、本当にありがとうって
本当はいつも思ってる。







夜になって娘と一緒にお風呂に入ったとき

「お父さん、私のこと、本当に嫌いだったんだな」と思った。



小さい頃からずっと 私の泣く場所はお風呂。

ここだと誰にも見られない。









でもなぁ、父にすごく可愛がってもらえる妹と
私って一体何処が違うんだろうって思ったりしてね。

いや、熱心に研究などして
でもってこれからは妹のような女性になって
私も可愛がってもらおうと画策しているわけではなくてね(笑)。





やっぱりね もうちょっと活発だったらなとかね。
可愛気もあってね。

何がどうなっていたら
父との相性もよくなってたのかなぁって。






相性って理屈じゃないんだよね。きっと。

理詰めでさ、これがこうなってこうなった結果こうなりました、みたいな
そんなの全く通用しない世界なんだろうね。

感覚、なのかな。




私がどんな子どもだったら
お父さん、可愛がってくれたのかな。










妹がよく頭をよしよししてもらってましてね。

あれって どんな感じなんだろうって。

いまだに いろいろ想像するんだけど
いまひとつ、わかりませんね。






父と手をつないでいっぱい歩いて たくさんお話して

頭をよしよししてもらえたら




きっと私のおなか

嬉しさでいっぱいになるんじゃないだろうか。








愛情でおなかいっぱいになるって

この世で一番

楽しいことじゃないだろうか。












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Last updated  2016.01.11 23:50:14
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