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ひよきちわーるど

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2005.10.19
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カテゴリ:think about myself


小学6年生の時だったか、「矢内原伊作」という方の文章を読み
その文体にとても心惹かれた。

語りかけるような文章で 少しも力んでいない。

何と優しい文章をお書きになる方だろうと思った。





・・元来私は内気な性格で
思ったことも口に出せない性格だった。

おまけに体も小さく
クラスで並ぶと必ず一番前か、良くて2番目だった。

生年月日も3月29日。
4月生まれのお友達と比較すると、ほぼ1年の違い。




幼稚園の頃は はさみも上手く使えず
マット運動の前まわりもできず、

クラスのお友達がいとも簡単にできるようなことさえ
当時の私にとっては難しいことばかりであった。




そんな風だったから 
鬼ごっこをするときにも「みそっかす」。

給食の牛乳を運ぼうとすると
ちゃきちゃきタイプのお友達が悲鳴を上げそうな(笑)顔で近付き
「○○ちゃんはこっちを運んで!」と叫びつつ
「ストロー」を渡してくれていた。

忘れもしない、
お遊戯会の劇では何故か赤ちゃんの役(T‐T)




幼稚園時代のお友達が そのまま同じ小学校にあがったものだから
どうやら私のイメージは固定してしまったらしく(涙)

小学校高学年になり お友達が何やら際どい話で盛り上がっていても
「○○ちゃんには刺激が強すぎるから 話を聞いちゃダメだよ。」と 
相変わらず私は蚊帳の外であった。






どうやら とてもとろい子どもであったらしい(笑)。

おとなしくてぼーっとしていて
いつもいろいろと空想したりして楽しんでいた。





けれど 年に一度のクラスの学習発表会では
仲良しのお友達と一緒にこれでもかと漫才を繰り広げ、
クラスのみんな、担任の先生、そして参観に来られていたお母様方を
いかに笑わせるか、さまざま画策(笑)していたものだった。

6年生の時、成績表の所見において 担任の先生が
「明るいことが大好きで、意外な一面を見せてもらいました。」と
お書きになっていたことが記憶に残っている。









幼い頃から 文章や絵をかくのが大好きだった。

口に出して自分を表現できない分
その他の手段で自分を出していたのだと思う。








短歌との出会いは中学生の時。

学校の授業で啄木の歌に出会い
「こんな世界があったのか!」と驚いた。




たった31文字で全てを表現するのである。

そのとぎすまされた世界に
いっぺんに惹かれてしまった。










夏の日の黒き雨雲遠のきて
   
    あとに残れる空の青さよ






これは生まれて初めてつくったもの。
当時確か 中学1年生だったと思う。

31文字の世界に踏み込み 初めて詠ったものは
自分の心模様でもなければ 恋でもない、
大好きな宮崎の自然であった。




宮崎は毎年 台風の通り道であり
いつも台風が来るたびに強風に怯え、なす術もなく
ただただ嵐が過ぎ去ることだけを願っていた。





・・・あの風の音はどう表現したものだろう。

「ゴォッ」とも「ヒュウッ」ともつかない音。

風が吹き荒れるたびに家の窓は大きく揺れ がたがたと音をたて
まるで家が倒されるのでないかと
お布団の端を握りしめながら思っていたものだった。






台風一過のあとは 田圃の稲がなぎ倒され
住宅地に目をやれば所々屋根が剥がされ
木も倒れたりしていたけれど

ひとたび 上を見上げれば
抜けるような青空が広がっていた。






宮崎は確かに空がきれいではあるけれど
台風の通り過ぎたあとの その青さといったらなかった。


心が吸い込まれるような色だと思った。











・・・それからいくつかの歌を作っていたけれど
いつしか私の関心は「詩」の世界に流れ

やがて谷川俊太郎や八木重吉 室生犀星の言葉に惹かれていく。





中でもサトウハチローの「おかあさん」という詩は
多感な時期にあった私の心を掴んではなさなかった。







サトウハチローといえば「小さい秋」である。

この歌詞は何度口ずさんでも心が震える。





この「小さい秋」に出逢ったのは幼稚園の時。
丁度小雨の降る秋の日だった。

私は教室の席に座り
先生の弾くオルガンに合わせてこの歌を歌っていた。




窓の外では雨が降っていて
少しだけ開けられた窓からは雨の匂いが入ってきて

ちり紙で作られたてるてる坊主が
その裾を少しぬらして







歌いながら なんてきれいな歌なんだろうと思った。
そしてなんて淋しい歌だろうと思った。







「目隠し鬼さん 手のなる方へ」

ふと、自分が目隠しをされ
微かな音だけをたどっていくその頼りなさを思い出す。







「よんでる口笛 もずの声」

少し秋が深まり始めた頃の
百舌鳥の雛の声をご存じだろうか。

淡いソプラノで
「きっちょん、きっちょん」と啼く。







「お部屋は北向き くもりのガラス
 わずかなすきから 秋の風」
  


幼心に この部分の歌詞が一番淋しくて怖かった。
心の中を冷たい風が吹いていくようだった。








「むかしのむかしの 風見の鳥の
 ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
 はぜの葉あかくて 入日色」
  


これは大人になって好きになった部分。

おそらく子どもの頃に「はぜの葉」と聞いても
どんな葉っぱか分からなかったと思う。

はぜの葉は 秋が深くなると赤く色づく。
透明感のある燃えるような朱だ。






こんな 心の震える繊細な世界。

幼い頃に この歌を聴いていて本当によかったと思う。













深く傷ついたときには
敢えて口に出すことはせず ただ文章に書く。

書くことによって自分の心を落ち着かせているのだと思う。




そしてよほど深く傷ついて文章さえも浮かばなくなったときに
初めて絵を描く。

たった1枚の絵を
時間をかけて丁寧に描いていく。






私が、自身の感情を口に出せるタイプであったなら
おそらくは傷ついたことを友人達に話し、その場で発散させていたことと思う。

けれど幸か不幸か、口に出せるタイプではなかったため
私の手元にはその時々の文章や絵が多く残されることになる。













いつか、友人が私の文章をお読みになり

「貴女の文章は詩のようだ」と仰ったことがあった。



その時には嬉しくて 何と答えたか覚えていないのだけれど
・・その言葉 きっと忘れないと思った。








今までも文章は私の支えであったし
おそらくはこれからもそうだと思う。




これから生きていく中で
きっといろんなことあるのだろうな。



様々な出来事に出逢い 
悲しみ、喜ぶその中で

私はこれから 
どんな文章を残していくのだろう。






















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Last updated  2016.01.01 22:30:20
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