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ひよきちわーるど

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2006.07.27
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カテゴリ:万葉染色




先日 志村ふくみさんの次のような文章に出会いました。

「平凡な一介の主婦として、何ら染織の専門的知識もなく
 師もなく、いきなりこの道に入ったので
 目の前におこるさまざまの現象に新鮮な感動と、深まる疑問、
 それらが私の教師であった。

 実際にやってみて失敗、失敗をくりかえすうちに道が開けた。
 そしていくつかの法則を見出した。

 最初にそれと気付いたのは化学染料と植物染料で同じ色を染めて
 偶然に庭に干している時だった。

 色調が同じであるのにその領する世界がちがうということがあり得るのだろうか。

 一方は庭に溶けこんでいる、一方は判然と別世界に存在する。
 なぜ、色から発する波長のようなものがあるのか、人は眼の錯覚というかもしれない。
 併し私にとってそれは次第に犯しがたいものになっていった。

 自然(植物)が主で人間が従である道と、人間が主で色が従である道と。
 人間が主でさまざまの化学を駆使してゆくのが今や主流である。
 それは人間の叡智がみずから生み出した道である。

 自然が主で人間が従の道はすでに古代である。
 併しそれは現代にも存在し、二つながらの世界が共存している。
 
 たまたま私の行こうとする道は古代からの道だった。

  (中略)

 仕事をはじめて二十数年、私の謎は深まるばかりであったが
 それを私は感覚的に、心情的に受けとめる以外の手だてを知らなかった。

 併しいつしか科学者が分析したり、量的に証明したりする
 足場の確立を基にして仕事をすすめているのに対して、
 私のように物ををとおして仕事をしているものが
 必然的に踏まねばならぬ物の法則に対しての根拠がどこにあるのか、
 とらえどころのない翼で宙を飛んでいるような不安がつのっていた。」


                      「母なる色」 志村ふくみ




読み終えて 思わず深い溜息です。

そう、自分自身今までおぼろげながら感じていて
それでも言葉に出来なかった想い。

その想いをこうまで見事にお書きになっている著者。

・・・何度も何度も読み返しました。
うなずきながら。





正直申しまして私自身
このところずっと染色から離れてしまっていたのですね。

確かにこの数ヶ月間、多忙でありましたことも
そのひとつの理由には挙げられるのでしょうけれど

もっと大きな理由として
染色に対する情熱のようなものが薄らいでいたのです。



何故か。

これって現代に生きる私たち そして未来に生きる人々にとりましても
切実な問題となってくると思うのですが
媒染剤となる椿の葉が入手できなくなっているのです。

それで致し方なく明礬を使って
染色をしたりした時期もございましたが 駄目ですね。



確かに明礬を使いますと失敗することもありません。

この染料だとこういう色に染め上がる・・・という風に
ある程度の予測を付けることもできるのです。

ですが、椿の灰汁を使っての媒染・・・
この媒染を施した布にはやはり遠く及ばないのです。





椿の葉を燃すときの煙の匂い
灰に熱湯を注ぐときの音

山の樹々の中から
照り映える椿の葉を見つけた時の嬉しさ

そんなひとつひとつの行為を通し
私は遙か古代の人々と心を通わせていたことに
今更ながら気付いてしまったのです。

染めを通して感じ取っていたあまりに多くのことを
私は明礬での媒染をすることにより失ってしまったのかと
ひどく落胆致しました。






染めは化学の実験ではありません。

確かに科学的な分析も必要でしょう。
けれど 染める私たちの心までも
化学者になる必要などないのです。






今は8月。

紫草染色に欠かせない椿の葉に
アルミニウムの成分が最も集まる時期でもあります。

もう一度山々の中に深く分け入り
古代の人々と同じく
椿の葉を自分の眼で見つけることから始めたいと思います。





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Last updated  2015.10.22 10:06:00
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