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ひよきちわーるど

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2007.04.14
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カテゴリ:娘に


遅ればせながら先日、玄関に飾ってありました兜の押絵を片付け
ついで石楠花の色紙の飾り付けを致しました。

近所を歩きますと未だなお 空には大きな鯉幟がはためき
至るところで兜を目にするものですから
ついつい我が家におきましても押絵を片付けるのが遅くなってしまったわけです(笑)。





鯉幟には少し淋しい思い出がございます。

私自身九州で生まれ育ったものですから
少なからず男尊女卑の考えに染まっているところがございます。
もちろん全てではありませんけれども。

頭ではそういうことではいけないと分かってはいるのですが
幼い頃よりしみついた考えはそう簡単にぬぐい去れるものではありません。



幼い頃、お正月に本家にご挨拶に参りましても 跡継ぎの男性は座る場所があらかじめ決まっており
それに引き替え女性陣には座る場所もなく ただ忙しく台所とお座敷との往復でした。
お料理を運び、お酌をし、空いたお皿を下げる。その繰り返し。
おそらくは他の地域でもそうであることとは思いますが
「おなご」が座っているのは見苦しい、とされたものです。

父や弟が台所に立ちそうになりますと 祖母から
「男の人を台所に立たせるとは何事か」と(私たち女性陣が)お叱りを受けるわけです。

ですので、そういう幼い頃からの光景が今なお胸に焼き付いておりまして
食事中、夫が台所にお醤油などを取りに行きますでしょう?
そうしますと私、「私が取りますから!」と叫びながら(笑)慌てて立ち上がるわけですね。
ほとんど条件反射です(^^;)


九州の実家におきましては あらゆる場面で男の子は特別扱い。
ご先祖のお墓参りにしましても「これは跡継ぎの男が行くもんじゃ。」と
私たち女の子は連れて行ってもらえませんでした。

ですので 幼い頃から「男の子はいいなあ。」と思いつつ 
五月の明るい空の中 悠々と泳ぐ鯉幟を複雑な思いで見上げていたものです。






・・・今年の鯉幟を見て思いましたこと、もうひとつ。

私自身、九州を離れまして15年目に入ったわけではありますが
結婚前勤めていました職場にて 先輩方がこう仰っていました。

「この前、うちの姑にね『うちに男の子が生まれんのは、嫁であるあんたの中に
「どんなことをしてでも男の子を産むんだ」という気持ちがないからじゃ。』って言われた」と。

・・私、そのお話を伺いまして 他家に嫁ぐということは
それほどまでに大変なことなのかと痛感したことでした。




実は今年の五月の節句、甥の初節句でもあったわけですね。
甥っ子は昨年の9月、私と4歳違いの妹の所に生まれたのです。

妹の所には既に2人の女の子がおりまして
ようやく3人目にて男の子を授かったというわけです。

妹も30代後半。母子ともの健康を考えますと、いくら現代医療が発達しているとは言いますものの
やはり体力的にもその他様々な面におきましても、ぎりぎりの線ではなかったかと。

妹は気丈な性格ですので、愚痴をこぼすことなどありませんでしたけれど
やはり因習深い九州の長男の嫁として様々思い悩むこともあったのでないか・・・と 
私自身、ずっと案じておりました。

私も同じく長男の嫁であったならば妹といろいろと語り合うことも出来たのでしょうけれど
私は関西に嫁いでおり、そして次男の嫁でしかないわけです。
その私がいくら妹のことを心配しているからとはいえ、彼女に対し何か言えるわけもありません。

自分の妹が婚家の親族から何か言われているのではないだろうかと
この数年、ずっと心配することしかできませんでした。




そしてまた7歳違いの妹が嫁ぎますときにも 心配は尽きませんでした。
そう、私自身心配性なのかもしれません(笑)。

けれど、自分の身に起きますことはまだ耐えることもできるのでしょうけれど
可愛い妹たちが傷付くことだけは我慢できないのです。


7歳離れている妹の嫁ぎ先は関西でした。
平安前期から一族の中でのみ婚姻が重ねられてきており 妹の旦那様は53代目となります。 
一族以外の女性を嫁として迎えるようになりましたのは先代の頃からでありまして
先の大戦を過ぎましたここ数十年のことでしかありません。

この妹の場合には第一子が男の子でしたので 母も私もほっと胸を撫で下ろしたことでした。
(申しわけのないことではありますが)妹の婚家の弥栄を寿ぎつつ胸を撫で下ろしたわけではなく
妹の、嫁としてのこれからの立場の安泰を思いつつのことでございました。
・・・おそらくは これが身内としましての本当の気持ちなのかもしれません。

しかし 妹は出産の際 大出血に見舞われまして絶対安静の身となり
そしてまた当時、母も癌の手術を終え経過観察の途中でありましたので
急遽私が2歳のみゆきちを抱え九州の実家に戻り 妹や赤ちゃんのお世話をしたのでした。

え、その時に生まれた赤ちゃんが
このひよわーるどにたびたび登場してくる例の甥っ子でございます(笑)。

ええ、そうです。あの玉葱事件ですね。虫釣り事件も記憶に新しいところです。
「豚の丸焼きロケット事件」もありましたね。

・・・・男の子を育て上げてこられたお母様方 大変に大変に御苦労さまでございます(笑)。







頭では分かっているのです。
生まれてくる我が子が男の子であっても女の子であっても良いではないか、と。
一番大切なことは我が子の幸せであると。
・・・我がことでしたら比較的冷静に このように考えることが出来るのですね。

けれどこれが我が妹、そして我が娘のこととなりますと
私自身、たちどころに心は揺れてしまうのです。まるで振り子のように。
ひとつの位置に心が定まらないのです。
恥ずかしいことではありますけれど これが本当の気持ちでもあります。





この日記でも幾度となく書いてきたことではありますが もしも私が男子であった場合
小学校を卒業しますと同時に総本山へ所化として上がる予定でありました。
しかし女子でありましたため、総本山に参ることも叶いませず、在家として生きていくことに。

幼い頃は「過去世の修行が足りなかったから、私はお山にあがれなかったのだ」と思い
自分を情けなく思ったこともございましたが その後様々な経緯を経まして(詳細は省きます)
やはり自分は在家として生きてきて良かったのだと、
在家であったからこそ ここまで信仰を続けることが出来たのだと思えるようになったのです。
もしも自分が男性として生まれ、出家していたとしましたら
おそらくは信仰を続けることなどできずに途中でやめてしまっていたことでしょう。

そのことを思いますと 男性として生まれてくるか、女性として生まれてくるかで
(当然のことではあるでしょうけれど)その後の人生は全く違ったものになると。

だからこそ、私自身、結婚し妊娠する前に強く祈っておりましたことは
(正直申しまして希望する性別はありましたけれどもそれはさておき)
ともかくも我が家に来てくれる人が生涯にわたり信仰を全うできるように、と。
もしも男性として生まれてくる方が信仰を続けられるのであれば男子を、
そしてその逆の場合には女子を、と祈り続けておりました。





子どもを 「自分の子ども」としてのみ考えるからこそ、親のエゴが出てくると思うのです。
確かに、生まれてくる子供は自分たちの血を分けた可愛い子どもであります。

しかし同時に私たち親は 遠い将来、我が子が大きく羽ばたいていくための
仮の宿でしかないということにも真摯に眼を向けていくべきでしょう。

子どもは、「私たちの子ども」という姿だけで生きていくわけではありません。
実現するべき夢を持ってこの世に生まれてきていると思うのです。
もう少し踏み込んだ言葉で言い表すとしますならば
1人1人、果たすべき使命を持ってこの世にやってきた人たちなのだと。

その使命を存分に果たすために 必要なことを教え、
(おそらくはほんの少しの助力でしかないでしょうけれど)力を添えていくのが
私たち親の務めではないかと思うのです。



子どもだけではありません。
私たち親の立場にある者も、自身がこの世で果たすべきものを秘めて生きていると思うのです。

どうすればより良い生を生きることが出来るか
どのように生きていけば他者に尽くす人生となるのか
自分なりに考えを巡らし 時には煩悶しながらも前に進んでいこうとする。
その私たち親の姿を 子どもはじっと見つめてくれていると思います。





我が家の娘も思春期にさしかかりつつあります。

私が12歳の時に書き綴っていた日記を 娘とともに読み返しまして
2人で笑ったり驚いたり、何故かしんみりとしましたり。

娘に対しましては 確かに母親として接しますけれども
時には同じ思春期の女の子同士になるのでも良いのでないかと。

そうします中で 娘には「ママに何でも話していいんだよ」というメッセージを
送っていきたいと思うのです。
ママもあなたと同じ女の子だったのだと。
おそらくは 同じことで悩んだり悲しんでいたりしていたのだと。

だからこれからあなたがぶち当たるだろう多くのことは
他のみんなも同じくぶつかってしまうことだろうし
悩み戸惑うのはあなた1人だけではないのだと。

悩みを上手く避けるのではなく 自身の栄養としていけるように。
ひとつひとつ丁寧に考えるように。

そして何より 思い悩む自分自身を決して卑下しないように。
誠実に懸命に生きている何よりの証拠なのだから。

むしろ胸をはって 真っ直ぐに前を向きなさい。





・・昔、眼にした文章ではありますけれど
そしてそれがどなたの言葉であったのか今では記憶も朧になっているのですが

ある1人の男性が 今まさに出産に立ち向かっている奥さまの病院に行こうとして
こういう言葉を残しているのです。

「私は今から この広い宇宙をたった1人、孤独な旅を続けていた人を出迎えに行くのです。」と。

言葉は必ずしもこの通りではありません。
とぎれとぎれになってしまった私の記憶を無理に繋ぎ合わせたものに過ぎないのですが
それでも時折この言葉を反芻致しますと 何やら不思議な感動を覚えるのです。




私たち人間はみな 
自分にしかできない使命を携えてこの世に生まれてきているのではないだろうかと。

その使命も、誰か他の人から託されたものではなく、ましてや神に選ばれたわけではなく
自身の心が決めたものであると。

ひとつとして同じ人生などなく みな、自分だけの生を全うするしかないのだと。




私たち親はほんの少し、そう、ほんの数十年間だけ先に
この世に来ていた先輩に過ぎないのだと思います。

その先輩である私たちが 新しくやってきた後輩に対し
自身にできる限りのことをしていくだけではないかと思うのです。






 

こどもたちは「未来からの使者」。

その小さな体の中に一体どれほどの未来を抱えていることでしょう。




みな1人残らず幸せであってほしい 
そして健やかに伸びてほしいと願います。




素晴らしい未来をつくるために

そして何より幸せになるために

この世に生まれてきた人たちです。









    はるばると 夢を抱きて この場所に

      生まれ来たるか 遠き宇宙(そら)より




















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Last updated  2015.05.29 09:54:36
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