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ひよきちわーるど

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2008.11.11
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カテゴリ:生と死

今日は、隣の市の総合病院に行って参りました。
何しろ初めて行く病院でしたので
地図を見ながら、道に迷いながらの1時間ではありました。

・・・今まで、祖母、そして実母と
同じような疾患で苦しんできたわけではありますが
遺伝性が指摘されているこの疾患、
もしかしたらこの私にもその兆候が出始めているのではないかと思い
今日、思い切って専門病院を訪れたわけです。

・・・今、40代で発病となりますと
さすがに年齢的にも早過ぎるな・・・と思うわけではありますが
早く発見されればそれだけ進行も遅らせることが出来ますので
ともかくも、何が起きたとしても全て良いように考えていこう、と。

もしも、今回の検査で発病が確認された場合
確かにショックではあるわけですけれども
でも、落ち込んでも仕方ありませんのでね
持病がひとつ増えた、くらいの気持ちでいこう、とも。

・・・そんなふうに自分に言い聞かせながら病院の駐車場に向かいましたとき
突然、欅の黄葉が風にあおられて いっせいに舞い立ちました。

その欅を見ましたとき ふと、遠い故郷の家を思い出したのです。

実家のシンボルツリーは 門のすぐそばにそびえる大きな欅の樹。
この時期ともなりますと葉は美しい金色に染まり
音もなく散っていきます。
・・私は、その欅の葉を見るのが大好きでした。

何だか 故郷の家の欅が
「頑張れ」と励ましてくれているようで
・・・目頭が熱くなってしまいました。




そう、「持病がひとつ増えたと思えばいい」と言い聞かせながらも
本当は不安でいっぱいになっていて
けれど、ここは故郷を遠く離れた関西の地。
親も兄弟もそばにはいてくれないのです。



・・・かつて娘がまだ1歳くらいの頃
私自身、病院の先生に入院を勧められたことがありまして
でも、娘を預けるところが何処にもなかったのですね。

「私は入院さえできないのか」と病院の先生の前で思わず泣いてしまって
「親のいないところで生きていくということはこういうことなんだ」と
痛感したことを覚えています。

周りの方々は私に「そんなに肩に力を入れないでいい」と言って下さるのですが
肩に力を入れ続けていなければ
この地で生きていくことなんてできないんだ、とそんな風にも思うわけです。

そう、確かに周りの方々に甘えさせて頂く部分もたくさんあります。
しかし、(言わずもがなのことではありますが)
ある線からは、やはりどなたにも甘えられない。





今は比較的元気にしておりますが
ずっと以前などは1ヶ月近く床につく日もあり
その間、家族には大変な迷惑をかけてしまいました。

夫婦2人だけで力を合わせて頑張ってきましたなどと言えば
確かに聞こえは良いのでしょうが

何のことはない、夫婦の内どちらか一方が倒れてしまったならば
毎日のご飯は出来合いのもの、もしくはお弁当となり

洗い終え乾かした洗濯物を畳むこともできず、その洗濯物の山の中から
明日着ていくべきものを探し出す・・・そんな毎日が待っているのです。




娘が1歳のこの時期、確かに大変な毎日ではありました。
けれど、だからこそ
夫との絆は一層つよまったのではないかと今では思います。
頼れるのは、本当にお互いだけでした。

そんな中、これから自分が年を取り
遠い将来、周りの若い人たちが子育てに苦労しているのを見かけたなら
(若い人たちの邪魔にならない範囲で)なにか手助けをして差し上げたい、
助けてあげられる自分になりたいと切に思いました。






今回の検査結果で発病していなかったならば
そのことを幸いとして受けとめると同時に
いつか発病するときのことも考えて今から様々な準備をしておかなければ・・・と思います。

この病は、進行するに従い体の自由がなくなり
最終的には何も出来ない身体になります。
そう、寝たきりになり、手も足も動かなくなってしまうのです。

もちろん、パソコンなどもさわる事さえできなくなります。
趣味として始めた版画も、何もかも。

6年前に亡くなった父方の祖母は
65歳で発症し寝たきりとなり、それから24年もの間
この病と闘い続けました。






・・・今日、初めて辿った病院への道のり。
大きな川の堤防を ずっと北に向けて車を走らせます。

夕焼けが空いっぱいに広がって 本当にきれいだった。
周りの山も川面も優しいローズピンクに染まっていました。

中州には薄も広がって
初冬の風に揺れていました。


今回、発症していた場合には
これからずっとこの道を辿り病院通いが続くことでしょうし

幸い今回は大丈夫だったとしましても おそらくは年を重ねるに従い
発症する確率は高くなっていくことでしょう。





・・・先々のことをあれこれ心配してもしょうがないとも思うのですね(笑)
そう、先のことなど、誰にも分からないのですから。

けれど、心配する・・という言葉を言い換えるとするならば
「心の準備をしておく」ということかな。

私は不器用な人間ですから、目の前でいきなり起こった出来事に対し
咄嗟に対処できないわけです。
ましてや、強い精神力でもっていきなり立ち向かうことも出来ない。
そして何より、そばに 血を分けた親族がいない。
いざというときに泣きついていく場所がないのです。
だからこそ、おそらくは滑稽なほどに
将来に対しての不安を抱え、そのための準備をしようと身構えている。





・・・病院の帰り道、車を運転しながら
自分のことを「馬鹿だなぁ」と思いました。

まだ40代なんだから、発症するわけないではないか、と。
遺伝性の病とはいえ、発症率100パーセントではないのだからと。



頼っていいのは夫だけという現実と
でも、夫にもそんなに甘えてはいけない、自分がしっかりしなければという想いと
今の自分に出来ることは何でもやっておこうという気持ち。

またもやいっぱいいっぱいの気持ちになってしまって
そんな自分を「馬鹿だなぁ」と思って

そんな時にね、ふと東の空を見上げたらば
丸い白い月が浮かんでいたのですね。

夕焼け雲の中から すっと顔を覗かせていたんです。




・・・きれいだなぁ と思った。

月は音もなく空に昇って
西の空を見れば金色に染まっていて

薄は白く風に靡いている。



車窓のそばに目をやれば
ナンキンハゼの鮮やかな色が飛び込んできて
桜の葉も色づいて

そう、その鮮やかな朱の色を目にしましたとき
齋藤史氏のお歌が 心に浮かんできたのです。




  死の側より照明せばことにかがやきて

          ひたくれなゐの生ならずやも





どんなに不安を抱えていたとて
毎日を精一杯生きていこう

自分の選んだこの地で愛する人と一緒に生きていこう

人間、いつかは最期の日を迎えてしまうのだから
死への準備は怠らず続けるけれども
ただ、徒に思い惑うのは止めよう、と。




自身の最期についてあれこれと考えることに対し
よく「暗い」と言われるけれども
私はちっとも、暗いなんて思わないんです。
むしろ最期について考えるのは当然のことと思う。

死を考えることは、自身の生をより豊かにするとさえ思います。



どうやったら、まわりの人に迷惑をかけずにすむか。
いや、どうやったって迷惑はかけてしまうのですから
その迷惑をどうやって最小限にとどめるか。

自身の身仕舞いを きちんとすることができるかどうか。



・・・40代に入った今、そのことについても
少しずつ考えていきたいと思います。









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Last updated  2015.03.23 10:17:38
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