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カテゴリ:生と死
「あはれ」について ただひとつ思われることは 40代半ばでしかない自分が 賢しらに語るべきものではない、ということ。 そして もののあはれについて語る時があるとすれば それは自身の晩年において、ではないかと。 二親を見送り 我が子を独り立ちさせ 自身の余生もそう長くはないことを悟った時ではないか・・・と思う。 この時節になると、口ずさむ歌がある。 百合とはじかみ賜ひき さはれつゆの身よ 夏いつまでの夕ぐれならむ 塚本邦雄 ・・・数日前、車の運転席から見た景色。 道の端に繁る葛の葉が 夕暮れの光の中 風になびいていた。 これから夏に向かう、 そして季節は夏至に向かおうとしているこの時でさえ 夕暮れの光には翳りが見えていた。 生を謳歌する季節にあってさえも 既に衰えの兆しは見えている。 この世に常なるものなど何ひとつとしてないことを思い 結局は 人は独りであることを この広い天地をたった独りで往かなければならぬことを思い その道のりの寂しさを思った。 人の寿命の長さを思えば 自分はその半分ほどしか生きていないことになる。 いや、まだ半分ほどなのだ、と 自分に言い聞かせていたいだけなのかもしれない。 本当は折り返し地点など とうの昔に過ぎてしまっているのかもしれない。 ただ言えることは たかだか40数年しか生きていない自分が 今、この時点において「あはれ」を語ったとて それは観念的なものでしかなく この小さな頭で思いを巡らしているだけに過ぎないのである。 あはれについて語ること・・・ それは これからもっと長い時間が過ぎ 自身の晩年にさしかかり いのちの果てが見えてきたときにのみ 許されるものなのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.12 12:49:34
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