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ひよきちわーるど

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2011.05.27
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カテゴリ:歴史

検査続きの毎日、私には行きたいところがあった。

少し遠い土地ではあるけれど
奈良の平城宮跡。


もっと正確に言うとすれば・・・絶対に平城宮跡でなければ、ではなく
古代日本を感じるところであれば
奈良県内のどこでもよいという気持ちだった。

ただ 長い時の流れを感じたかった。




今回の検査において自分では「大丈夫だ」と思っていたのだけれど
やはり、お医者の言葉ひとつにも過敏に反応し
ほとほと疲れ切ってしまった。


疲れると同時に、人の一生は、やはり有限であることを痛感。

このたびの検査でOKをもらったとしても
いつかは 大丈夫ではない時が必ず来る。

その時に必要以上に悲しんだり、落ち込んだりせぬよう
今のうちに 時空をこえたものに触れておきたかった。



自分自身 仏教徒である故に
生命は三世にわたるものと考えている。

幾度となく生まれては死にを繰り返し
そして それはこれからも永遠に続くのだと。

今世において自身の寿命が尽きるときにも
大丈夫、今までにも幾度も死を経験してきているのだから
そう怖がらなくてもいい、と
自身に言い聞かせることの出来る人間になりたかった。

そのためにも、自身の
今世での生死を超えるものに出逢いたかった。




・・・検査も一通り終わり、いざ奈良へと思ったのもつかの間
いまだ体力の戻ってきていないことを発見。
腹痛も今まで通りである。

とても奈良へ行くことは叶わない、と思った。

残念ではあるけれど、奈良行きは
もう少し元気になっているだろう次の機会に譲ることとし
このたびは「弥生式土器」を見に行くことに。





・・・場所は前述の「ギャラリ-天心」。

室町、鎌倉時代の石仏とともに土器は展示されており
殊にその色合い、口縁の部分に惹かれた。


土器を眺めているうちに 
想いは これを造りあげた人へと。


まさか、自分の作った器が「弥生式土器」と名をつけられ
この平成の世に 多くの人々に眺められることになるとは
思ってもいなかったに違いない。




どんな風に造っていたのだろう。

家族と話をしながら?
それとも 焚き火のそばで独りで?



この土器を造った人と私との間には
おそらくは2000年もの時が横たわっている。

可笑しな考え方かも知れないけれど
人の一生を70年として考えた場合、
もしかしたらこの2000年の間
私はおよそ30回ほどの生き死にを繰り返してきたのだろうか、と。




土器の口縁部分を見てみれば 少しいびつな形になっていて
それは(現代作家にありがちな敢えていびつにしてみました、ではなく)
一生懸命に造ったんだけど、どうしてもきれいに整わなかったという感じで
微笑ましく、殊に美しく思えた。



「芸術」「民芸」「用の美」など
現代の道具を取りまく中には実にさまざまな言葉があるのだけれど
そんな言葉は この土器にはそぐわない。



また「使いやすさ」「美しさ」「機能性」など
ひとつの器、道具を語るときに
現代に生きる私たちは多くの言葉を使うのだろうけれど


この2000年前の器にあるものは そういうものなどではなく

・・・おそらくは 生への祈りだけなのだと思う。











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Last updated  2015.02.26 07:35:40
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