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ひよきちわーるど

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2012.02.13
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カテゴリ:生と死


今年ほど 白梅の開花の待たれることはない。

梅の樹を眼にするたび蕾の様子をうかがうのだけれど
いまだ固く 改めてこの冬の寒さを思わずにはいられない。



白梅はいい。

主張をすることもなく
ただ、無心に咲いている。




病気をして思ったこと。

白い花々も 好きな音楽も そして惹かれる絵画も
もしかしたら根のところでひとつにつながっているのではないかと。


これらのものは決して主張をしない。
そこに存在するだけで
私たちの心をなぐさめてくれる。

すっと雪がとけるように
我が身に寄り添い 同化してくれる。




・・・こういうとき、(出来れば)緋色の花は遠ざけておきたい。

緋色の花々は それがどんな種類の花であれ
声なく自己を主張している。

こちらに同化するのではなく
一対一で相対しようとする。

だから疲れるのかもしれない。





病気をして実に様々なことを考えるようになった。

いや、考えるというよりも
感じとるようになったと言うべきか。



患者にとって 闘うべきは病だけではない。
いかに自身の精神を健全な状態に保つか、これが大切である。

自分の精神を荒らすものとは距離を置く。
心身ともに疲れたときには休養を取る。

心ある方々との交流をさらに大切にする。
感謝し続けていく。




・・・・これは余り書きたくないことではあるのだけれど

病気になった方々がよく口になさる「周りの理解が得られない」との言葉。
正直言って私自身、今までぴんと来なかった。

周りの理解など得られなくてもよいのではないか
ただ自分の病気を完治させることだけをお考えになるべきでは?と。

・・・そんな風に思っていたのだけれど
自分がこういう状態になって初めて「周りの理解が・・・」の意味が
ひしひしと分かるようになってきた。



同世代の方々は理屈抜きに心を寄せて下さる。
どんなに有り難いことだろう。



けれど私たちの親の世代となると
少し意味合いは違ってくる。

親の世代の方々であっても ご自身が大病をされた方は
私の置かれている状況を理解してくださり、励ましてくださる。
その励まし方も本当に温かい。



けれどそうでない他の親世代の方々は
「たいしたことない」とか「顔が暗いよ」とか
よかれと思ってか いろいろなことを仰る。

中には本当に心配して言ってくださる方もいると思うのだけれど
2ヶ月間、精神的長距離マラソンを走り続ける我が身には
もうこれ以上、笑顔を見せることも
「頑張ります!」と元気を出すふりをすることも辛いのである。

逢う人ごとに「元気を出さないと悪化するよ!」と言われ
そのたびに笑顔を見せて「はい!」と元気よく返事する。


正直に言えば・・・・精神的な長距離マラソンを走り続けていること自体
私にとっては 既に「元気を出している」状態なのである。
走り続けていれば表情も辛いものとなる。笑顔も出せるはずがない。

なのに周りは笑顔を強要する。
元気であることを期待する。



たとえは悪いけれど それはまるで42,195キロを走るランナーが
沿道に並んで応援してくださる方々1人1人に対し
笑顔で応えているのと同じような状況ではないか・・・と。

マラソンのさなか、苦しい表情で走ることを許可してほしいと思うし
笑顔さえ出せない精神状態であることをも理解してほしいと思う。



だからこそ、苦しさを理解して下さり
孤独を、不安を分かってくださる方々の存在が・・何より嬉しい。

苦しい表情のまま走っていいんだよと
許してくれる人の存在が 本当に嬉しい。





このたびのことでひとつ、ひとつ学ばせていただいた。

病気と闘う人にとって
周りの方の共感が、理解が1番の薬になるのだと思う。




だからこそ、私は「評論家」には絶対にならない。

病気と闘う人のことを 遠くから
ああだこうだと批評するような人間には絶対にならない。



・・・これが 今の私の想いである。









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Last updated  2012.07.14 22:25:09
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