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ひよきちわーるど

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2012.03.25
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カテゴリ:生と死

ここ1週間から10日ほど身体も本調子でなく
腹痛も再び起こってくるようになり、心身ともに絶不調。

やはりこころと身体はひとつのものであり
身体の具合が悪いと どうしても精神面まで影響を受けるようだ。




・・・どうして病の苦しみというものがあるのだろう。

死に至るまでの身体的苦痛が少しでも軽くなるならば
一体どれほどの人が安心することだろう。


近代においては、病の苦しみに加え
さらに治療時の苦痛、そして検査の時の苦痛がある。

そもそも苦痛を取り去るための医療であったはずが
(おそらくは)必要のない検査、そして苦痛を伴う検査など
かえって多くの患者を苦しめているという現実。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



桜の季節になると思い出すこと。

自分自身、染色をしなくなった理由のひとつに「桜」が挙げられる。


布を、桜を使って美しい色に染めようと思えば
ちょうど今頃の季節・・・2月、3月の
桜咲く直前の枝を切り取らなければならない。

それはあまりにかわいそうだと思った。



もしもこれから先、桜を使って染色をするのであれば
樹の根本に散らばる枝、風に吹かれ折れてしまった枝だけを使うことと思う。

いまだ生きている樹から枝を切り取ることだけは
どうしてもできない。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



人間は、結局は独りだ。

いや、これは何も悲観的な気持ちで書いているのではなく
ただ事実だけを書いているつもりである。


本当に、独り。
生まれてくるときにも、死ぬときにも。


いや、生まれるときなど
少なくとも母親はそばにいてくれるではないかとなるだろうけれど

ここで書くのはそういうことではなく
いつ生まれるのか、そしていつ死んでゆくのか
その「運命」に関わるのは自分1人だけだという意味である。

そして その「運命」は、個々により様々。




かつて余命を宣告された友人に対し
何とか元気になってもらいたいとの思いから
心を砕きつつ言葉をかけていたけれど

今にして思えば・・・何ひとつ、友人のお役には立てていなかったことを痛感。


その友人は 何の役にも立たぬ私の言葉を
ただ笑顔で受け止めてくれていた。

その笑顔の中に一体どのような思いを抱えていたのだろう・・と
今さらながら本当に申し訳ない気持ちになる。





・・・上述の「人間は独りだ」との思い。


これを痛切に感じたのは
病院での診察室の中にて。

「こんど再発してしまったら
 余命は数年、と考えることが必要なんですね?」との私の問いに

「そうです」との主治医の言葉。



「考え過ぎですよ」とか「そんなことはないです」などという
甘い言葉を期待していた私にとって、忘れられぬ言葉となった。

その瞬間、椅子に座る主治医もその後ろに控える看護師も遠い存在となり
自分1人だけ奈落におとされる思いだった。


そして その思いは今も続いている。



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何故自分はこれほど長い間
ブログを続けてこられたのだろうと思えば
ひとつは、自分の生きた記録を残しておきたかったため。


そしてもうひとつは・・・・突き詰めて考えれば
祈りにも似た気持ち。

私はこういう思いで生きている、と
天に向かい報告する気持ちだろうか。










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Last updated  2015.02.19 09:22:16
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