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ひよきちわーるど

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2013.02.01
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カテゴリ:生と死



前回の「諸行無常 5」にて


 私は生まれてくるたびごとに
(もしかしたら)短命で終わるタイプだったのかもしれないと。

 過去世もそうだったのかな、と。



と書いたけれど

もし本当にそうであるなら
もっと早い時期に気付きたかった、と。

どうしてこんな大切なことを
40代になるまで忘れていたのだろうと。






諸々のことは無常である。
全て流れ去ってゆく。

なぜなのか理由はいまだ分からないけれど
自然の摂理はそのようになっている。
おそらく覆すことなど出来ない。



これまた前回の日記に書いたことではあるけれど
今世において「○○○○」という名を持った私は確かに有限だが
生死を越えた「我」は永遠に不死である。


今、来世の自分に伝えたいことは

「次の世もまた(もしかしたら)短命かもしれない。
 今度こそ、そのことを、人生の早い段階において思い出してほしい。
 しかし嘆く必要はない。
 生命そのものは永遠である」と。





「我々はどこから来たのか
 我々は何者か
 我々はどこへ行くのか」




私は「我々」の部分を「我」に変えて
眠れぬ夜に 
独り 噛みしめることがある。




「我々」というと なんだか
大勢の人々と一緒に生死の海を越えてゆく・・・・そんなイメージがあるけれど

本当は、生まれてくるときもそして死ぬときも
たった独りである。




無始無終のこの大宇宙において
私という生命体は 
一体いつ生まれたのだろう。

そしていつまで 生死を繰り返してゆくのだろう。









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Last updated  2013.02.01 10:47:57
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