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カテゴリ:生と死
前回の「諸行無常 5」にて 私は生まれてくるたびごとに (もしかしたら)短命で終わるタイプだったのかもしれないと。 過去世もそうだったのかな、と。 と書いたけれど もし本当にそうであるなら もっと早い時期に気付きたかった、と。 どうしてこんな大切なことを 40代になるまで忘れていたのだろうと。 諸々のことは無常である。 全て流れ去ってゆく。 なぜなのか理由はいまだ分からないけれど 自然の摂理はそのようになっている。 おそらく覆すことなど出来ない。 これまた前回の日記に書いたことではあるけれど 今世において「○○○○」という名を持った私は確かに有限だが 生死を越えた「我」は永遠に不死である。 今、来世の自分に伝えたいことは 「次の世もまた(もしかしたら)短命かもしれない。 今度こそ、そのことを、人生の早い段階において思い出してほしい。 しかし嘆く必要はない。 生命そのものは永遠である」と。 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 私は「我々」の部分を「我」に変えて 眠れぬ夜に 独り 噛みしめることがある。 「我々」というと なんだか 大勢の人々と一緒に生死の海を越えてゆく・・・・そんなイメージがあるけれど 本当は、生まれてくるときもそして死ぬときも たった独りである。 無始無終のこの大宇宙において 私という生命体は 一体いつ生まれたのだろう。 そしていつまで 生死を繰り返してゆくのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.01 10:47:57
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