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ひよきちわーるど

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2013.02.02
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カテゴリ:生と死


毎日、修行僧のような心持ちで
生きているわけではありませんので、どうぞ御安心を(笑)。

ただ、時間があると・・・
無常について考え込んではいますね。

どうして無常であらねばならないのか、という問いに対しては
いまだ答えが見つかっていないわけです。




こういうとき、信仰を持っていて本当によかった、と。
いや、すがろうとか、そういうことではなくて。


殊にこの法華経。
問うても問うても、納得のいく答えが返ってくる。

なあなあではない。
適当なところで煙に巻くようなこともない。

文章を連ねる中でなんだか分かったような分からないような
そんな漠然としたものでもない。


非常に明確な答えが返ってくるわけです。
と同時に、希望がもてる。

気休めではなく、本当の意味において希望がもてるということもまた
信仰においては大切なことだと思うわけです。





昨日の日記にて

「次の世もまた(もしかしたら)短命かもしれない。
 今度こそ、そのことを、人生の早い段階において思い出してほしい。
 しかし嘆く必要はない。
 生命そのものは永遠である」
と。


生命そのものは永遠であるのだから嘆く必要はない、と言っても
苦しみに満ちた生を何度も繰り返さなければならないのであれば
別に、生命は永遠でなくてもよいわけです。

・・・ここに、ひとつの鍵があるように思われました。





その苦しみの鉄鎖を解くのが法華経ではないのかと。

なぜ法華経を信頼するのかと言えば
「私たちの生命の中」にこそ
苦しみを解決する力が秘められている、と説くからです。

仏が何とかしてくれるのではなく
もともと自身の中に備わっている力を呼び覚ませ、と説くわけです。




信仰を持っているから全ての災難から逃れられる、というわけではなく
当然のことながらさまざまなものが起こってくるわけです。

それらに翻弄されるのではなく「糧」としていく。

三世にわたって力強く生き抜いていく力が
もともと私たちの中に息づいていることを、
そしてそのための方途を、法華経は示してくれるわけです。




この仏、不死の薬をとかせ給へり、
今の妙法蓮華経の五字是なり、
しかも、この五字をば閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ、

(中略)

このやまひは仏の御はからひか
そのゆへは浄名経・涅槃経には
病ある人仏になるべきよしとかれて候、
病によりて道心はをこり候なり、

                  妙心尼御前御返事






病を得たことで
私は、いのちが有限であることを実感しました。

と同時に、自分の信仰のあり方について
深く考え直すことも出来ました。

この世で、自分が為すべきことを考えました。




過去世においても自分は短命だったのかもしれない、と
上手く言えませんが・・・少しショックを受けたことも事実です。
心のどこかで「長生きできるはずだ」と(何の根拠もなく)思っていましたから。

(ここでこういう言葉を使うのは変なのかもしれませんが)
目から鱗だったのです。

いや、もっと他の言葉で言い表すべきだと、
こういうときにこの言葉を使うのは変だと分かっているのですが
まさに「目から鱗」この言葉しか浮かばないわけです。


せっかく(?)病気になったのだから
これを機に、短命かもしれない「自分の宿業」を断ち切ろうと思いました。
それだけの力が、法華経にもそして自分の中にもあると思ったのです。




凡夫ですから 当然のことながら心は揺れ動きます。

いつもいつも勇ましく
「断ち切ろう!」と思っているわけではありません。



自分の、この心の揺れを静観しつつ
自身を鼓舞しつつ

日々、暮らしていこうと思っています。










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Last updated  2013.02.02 12:00:17
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