797308 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ひよきちわーるど

ひよきちわーるど

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2017.06.26
XML
カテゴリ:think about myself
自分自身、もともと他人と距離をおく性格ではあったけれど
病を得て、ますますその傾向は強くなってきているように思う。


他者と100パーセント分かり合うことは不可能。

他者に対し「共感」はできるけれど、今、自分の眼の前にいるその人を
完全に理解することなど不可能なのだと思う。

それが たとえ親子、夫婦であったとしても。



・・30代、40代の頃は
他者と必ず理解しあえるものと信じていた。

けれどそれは全くの誤解であり、幻影にすぎないことを
身に沁みて感じるこの頃である。

もちろん人間不信とか、そのようなものではない。


・・娘には折に触れ、このことについて話している。

他者のことを完ぺきに理解しているなどと、思ってはいけない。
相手の中には、自分の想像もつかぬほど広大な、深い世界が秘められている。
だから 相手の表面にほんの少し出ているものだけで
その人を判断しては絶対にならない、と。

そして同時に、自分のことを完ぺきに理解してくれる人が
この世界のどこかにいる、と思うべきでもない。

たとえママでも、あなたのことを100パーセント理解することはできないのだ、と。
どんなに理解してあげたいと願ったとしても。



最初から、人間は互いに(完璧に)理解しあうことはできないと分かっていれば
相手に対し、必要以上に大きな期待をかけることも、負担をかけることもない。
ましてや「わかってくれない」などと嘆くことも。


ただ、ここで大切なことは「完全に理解しあうことはできない」からと言って
その努力をまるきり放棄するようなことがあってはならないということ。

完全に理解することはできずとも、共感は可能だし
また、共感したいと思い続ける自分でありたいと思っている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.06.26 14:34:00
コメント(0) | コメントを書く
[think about myself] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X