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ひよきちわーるど

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2018.01.24
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カテゴリ:パパに
はたと気付けば、このブログも17年目に突入していました。

ブログを始めたころは・・私もまだ35歳。
娘も、5歳の幼稚園生でした。

それが今では私も51歳、娘も22歳です。
本当にあっという間だったな・・と思います。


毎日、律義に書き綴ってきたわけではありませんが
そして、途中ブランクもあったわけではありますが
何とか曲がりなりにも、ここまで書き続けることができました。

一言で17年とは言いましても、やはり長い。
その間には いつの間にか記憶の底に沈んでしまっていること、忘れ去っていること、
本当にたくさんあるわけです。

どんなに覚えていたいと願ったとしても
いつしか忘れてしまっていることのなんと多いことか。


そのことを思いましたら・・この「ひよきちわーるど」のささやかな空間は
私にとりまして、大切な思い出の宝箱です。


過去のページを紐解けば、あの頃の懐かしい記憶が鮮やかによみがえります。

その思い出の中では夫も私もいまだ若く、娘も小さな女の子で
毎日笑いながら一緒に過ごしていました。

そんな大切な思い出を、この小さな空間に閉じ込めておいて
本当に良かったと思います。



あと2か月もすれば 銀婚式。

25年前、新婚旅行先で、自分の左手の薬指に光る指輪を見、
そして自分のすぐそばで笑っている夫を見て、
ああ、私はずっとこの人のそばにいていいんだ・・・と
これからずっと一緒なんだ・・と思ったことを思い出します。


今まで喧嘩もいっぱいしてきました。
これからも、きっとそうでしょう(笑)。

今まで生きてきた中で
これほどたくさんの喧嘩をしてきた人は、夫の他にはいません。


もともと私自身は・・いえ、他の方々もそうだと思うのですが
喧嘩をすること自体、非常に疲れます。
できることなら避けていたい。

けれど夫に対してだけは、喧嘩を何時間することになったとしましても
それでも真正面からぶつかっていきたいと思うのです。


・・いつでしたか、「ちびギャラ」というページを見ていました時に
こんな画像を見つけました。


        



この画像を見て、ようやっと気付いたのです。

私は夫のことが大好きだからこそ
何時間もの喧嘩も厭わないのだ、と。

正確に言いますと
喧嘩そのものにかける時間は、さほど長くはありません。
実は、そのあとの「仲直り」をするのに何時間もかかるわけです。


これは今までの日記にも幾度か書いてきたことですので
ここでは詳しくは書きませんけれども、
仲直りをするのに・・まずは自分の思考回路について、お互いに説明します。

こういう言葉に傷ついたとか、あの言い方はやめてくれないかな、とか。
とにかく本音で話し合います。きれいごと一切なし。

まるでもつれた糸を丹念に解いていくような気持ちで
ひとつ、ひとつ、2人で丁寧に検証していきます。


今まで喧嘩をしてきまして、
仲直りをきちんとせぬまま気が付いたら元に戻っていた、ということは
一度もありません。

喧嘩のあとには必ず話し合いの場を持ちます。

そうでなければ、表面的には落ち着いたように見えたとしましても
心の中にはいくつかのしこりが残ってしまう。
そしてそのしこりは、おそらくは時とともに消えてなくなるものではない。



・・25年前の新婚旅行では、2人で沖縄へ行き
伊江島にある「城山」に登りました。

その頂上で写真を撮ったわけではありますが
当時2人ともまだ20代後半、本当に若かったわけです。


今ではお互いの髪に白いものも混じるようになり、
あんなに目のよかった夫も、今では眼鏡をかけています。

朝起きて、お互いの第一声は「大丈夫?」
年齢を重ねてきていることを実感いたします。

とは言え、彼は休みになるたびに勇んでスノーボードに出かけ、
足を捻挫し、鼻血を垂らしながら帰宅するわけではありますが
一体その情熱はどこから来るのだろうと思うのです(笑)。

確かに少しずつ年齢を重ねてきていますけれども
夫の胸には いろいろな物に興味関心を持ち続け、
行動を起こし続けていくだけの熱いものが変わらずあるのだと思います。



この日記にて幾度も書いてきたことではありますが
6年前の冬の日 神戸の病院にて病気の宣告を受け、
自分には50代、60代の日々はないかもしれないと観念しました。

娘の嫁入り着物を全てこしらえ
自身の告別式の打ち合わせを葬祭会館にて行い
ただただ、家族に対し申し訳ないと思っていた日々。



・・・あれから6年です。

ようやっと、6年、と言った方が正しいのかもしれません。


おそらく病との闘いはこれからも続くのでしょう。

そして いつかは自分にも終わりの日がやってくるわけですが
その日まで、夫と手を携えて生きていたい。


25年前の春の日に この人を幸せにしてあげたいと思い
夫と新しい人生を歩き始めたわけではありますが
本当は、夫に守ってもらうばかりの25年ではなかったか・・と申し訳なく思うのです。


身体も弱く、病気にもなってしまい
まして何か取り柄があるというわけでもなく

どうしてこんな人間が夫のそばにいさせてもらえるのだろうと、
私以外の女性を妻にしていたら
夫はもっともっと幸せになっていたのではないか、と
そう思う夜もあります。



・・今までの「ひよきちわーるど」を読み返してみましたら
15年前に「嫌われてしまったら」という題で日記を書いていました。
ちょうど結婚10周年の春のことです。

ここにもう一度 載せてみたいと思います。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今日で結婚10周年。はやかったなあ・・・。

パパ、私はね、 自分は結婚に向いていないと思っていたのだよ。

あなたと結婚するときだって
「こんな自分、すぐ離婚するんだろうな」って思っていた。

いや、違う。

「すぐ離婚するんだろうな」ではなく
「すぐあなたに嫌われて 離婚せざるをえなくなるんだろうな」って思っていたのだよ。

だから「嫁ぐときには離婚届も一緒に持っていく」なんて思っていた。

今から思えば、何をそんなに強がっていたのだろうね。
馬鹿だね。


それまで私は、1人の人のことを手放しで好きになるという事がなかった。
自分の全部をかけて人を好きになる事ができなかった。

好きになっても、 自分の想いが届かないことを考えたら。
いや、届いたとしても叶わなかったら。 

もっと言えば
叶ったとしても 嫌われてしまったら。

それを考えたら怖くて
手放しで人を好きになることができなかった。



結納の時のこと覚えているかな。
部屋で2人になったとき、あなたはこう言ったね。

「おまえに可愛げがないのは それはしゃあないことやってんな。」

・・面と向かって こんな事言われるのは初めてだったので 私は驚いた。
でももっと驚いたのは、 そういう言葉を言うあなたの目が温かかったこと。


「私って可愛くないかな?」

「ないない。」


「甘えるの下手かな?」

「めっちゃ下手くそ。」
「見てて気の毒になりそうなくらい下手くそ。」


あなたは私を膝の上に乗せて こう言ったね。

「おまえが可愛くないのはな、甘える方法が分からへんからや。」
「甘える方法を知らんまま、きてもうたんや。」



そしてその次にいわれた言葉を
私は一生忘れないだろうなと思った。



「だからな、俺が練習台になったんねん。」




へ?と思いながらあなたの顔を見上げる私に
あなたは笑顔でこう続ける。


「とりあえずな、肩の力抜け。」
「素直になれ。」
「甘えたら笑われるんちゃうかって、思うな。」


「甘えたいと思ったら まず俺に言え。」
「そしたら どう甘えたらいいか俺が教えたる。」



私の欠点をここまでズバリと言い、
そしてその欠点の克服法まで一緒に考えてくれる。



・・・・正直言って 参った。

こんな優しい人と 
私なんかが結婚していいのかとさえ思った。




だからね、あなたと結婚するのが怖かったのだよ。


この人に嫌われてしまったら
私は本当に打ちのめされてしまうだろう、とね。



                 2003・3・28





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Last updated  2018.01.25 02:58:41
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