ありのままの君が好き
昨日は久しぶりにパパとゆっくりと話しました。いつもはお互いに多忙で必要事項だけを伝えばたばたしているのできちんと向き合って話したのは本当に久しぶりのことでした。家族のお気に入りのお店でお昼をとりひよはあまり食欲もわかなかったので茶碗蒸しのみ。普通の人ならそれだけしか食べようとしない私に対し「もっと食べらなあかんで」と言うのでしょうけれどパパは私の体調のこともよく知ってくれているので無理強いはしない。それがとても有り難い。パパと一緒にいると本当に落ち着く。彼は常に「I am OK, You are OK」の人なので一緒にいると余計に安心するのかな。すぐに自分を否定し、悲観的な考え方をする私にとって彼の絶対的とも言えるその「自己肯定」には羨ましさを感じる。自己肯定と言ってもうぬぼれるとかそういうものではなく実にさっぱりとして本当に気持ちの良い人。そのプレーンなところに私は惹かれたのだと思う。彼にしてみれば 何もそこまでと言いたくなるほど私は悲観的な物の考え方をするらしい(笑)。私だって疲れるから そんなふうに物事を捉えたくない。でも、ふと気づいたら悲観的路線まっしぐらなんだよね。「疲れへんか?」と 彼は笑って問いかける。「疲れるよ。」とわたしはちょっとむくれて答える。でも、昨日のパパの言葉はとても嬉しかった。「父にさえ可愛がってもらえない私だから だから私はダメなんだって思うんだよね。 私の思考なんて結局は全部そこに行き着くんだよね。」と呟く私に彼は「俺は○○ちゃんのお父さんとは別の人間や。」 「お父さんとはそんな風だったかもしれへんけど 違う別の人間が ○○ちゃんのこと好きや言うとんのやから安心せえ。」と言ってくれた。彼とは趣味も好みも性格も全て違っていて共通点なんてひとつもない。私自身、彼のスノボの話なんて聞こうとも思わないし彼も、私の万葉の話なんて面白いとは思わないだろう。(いつも話の途中で寝ている。)いくら花の名前を教えたとてちっとも覚えてはいない(笑)。私だって 彼のスノボの技術がどんなものか知らないし知ろうとも思わない。ただ、怪我をすることなく、無事に帰宅してほしいと願っている。誰しもそうだと思うけれど 多くの人間関係の中において一番関心があるのは相手がどれくらいすごいかと言うことではなくどんなことを知っているのかでもなくただ、相手が私のことを好きでいてくれるかどうかその一点だけなんだと思う。そんなことを呟く私に彼は私のどんなところが好きなのか、口籠もりながら話してくれた。その内容についてはここには書かないけれど本当に嬉しかった。この人は私の外側ではなく心の内をきちんと見てくれているんだと思った。嬉しくてお店の中だというのに ちょっと涙が出てきて困った。ここが家の中でなくて良かった。でなければ私はもっと涙が出てしまいには彼の上着で涙も鼻水も拭かなければならない羽目になっただろう。とても嬉しくて今までの胸のつかえが取れたような気がして涙ぐむ私に彼は「○○ちゃんはな、 俺にとってナウシカみたいやねん。」と言った。普段の私だったら 照れくささも手伝って 即座に「は?鹿?」「私はヒトですが?」ととぼけるところなのだけれどそしてもっと照れくさいときには彼のおでこに手を当てて「熱ありまっせ。お疲れと違いますか?」とついつい言ってしまうところなのだけれど(馬鹿馬鹿)今回はそんな冗談を言う余裕もなくただじっと涙ぐんでいるだけだった。そんな私に彼は「もっとも、○○ちゃんは 彼女みたいに冒険はせえへんけどな」と言って笑った。昨日は、本当に嬉しかった。何が?と問われても困るのだけれど・・私はすっぽりと夫に包まれているのだなと思った。私のどんなところを好きでいてくれるかということも聞けてよかった。これからどんな風に生きていったら良いのかもずっと持ち続けていたい自分の特質についてもおぼろげながら分かってきた。もちろん、夫にずっと好きでいてもらいたいから努力するとかそういうものでは決してなく彼に対して恥ずかしくない自分でいたいと思った。何だか胸のつかえが取れて軽くなったみたい。何だか分からないけれど素直に嬉しい。これからも自分らしく生きていけたらと思う。彼が言ってくれた「ありのままの○○ちゃんが まるごと好き」という言葉をずっと胸に抱きしめて。