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ひよきちわーるど

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2018.09.28
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カテゴリ:パパに
病気が発覚しましてから、早くも7年目の秋を迎えようとしています。

もう7年なのか、それともまだ7年というべきか
再発の危険がいまだ去らぬことを思えば
やはり まだ7年と考える方が正しいのかもしれません。



・・・つい先日、ちょっとしたことで風邪を引いてしまい
なかなか快方に向かわず本調子ではないのですが
今、思っていること、痛切に感じていることなどを少し書いてみたいと思います。


今年2月に事故に遭いました夫も、この8月、ようやく職場に復帰いたしました。

とは言えど、背骨は未だくっつかぬまま
いわば「見切り発車」での復帰ではあります。


そして、復帰第一弾が、よりにもよって運動会(涙)。

やはり心配で・・私も夫の学校まで行き
ずっとそばで監視・・  見守っておりました *^ ^

何しろ、家の中では重いものはほとんど持つことができず、
まだまだできないことの方が多いのです。

確かに、何もわざわざ私が夫の学校まで行かずとも・・となるのかもしれませんが
それでも 夫がどんなに大変な中、頑張っているのかを
自分の眼に焼き付けておかなければと思ったのです。


・・運動会の様子を見ておりますと
無理はしない、とはいうものの相手は小さな小学生なのですから
やはりまだまだ手がかかるようでした。

夫も、クラスの子どもたちの世話をしたり
プログラムに沿ってあれこれ動き回らねばならず
もう、こちらとしましては「大丈夫だろうか…」とハラハラのし通しでした。



・・・夫を見ていまして、思ったことがあります。

子どもたちと話している時の彼の眼は本当に優しい。
子どもたちと一緒になって笑い合ったり、冗談を言ったりしている。


夫が事故に遭い、学校を数か月にもわたり休まなければならなくなった時、
クラスの子どもたちからたくさんの手紙が届きました。

その中には 
先生が学校に来れなくなって淋しい。
僕は悲しくて泣いてしまった。
先生、絶対絶対、早く治して学校に来てね!

・・子どもたちが鉛筆を手に一生懸命に書いてくれた様子が目に浮かぶようでした。


夫は学校でのことをほとんど話しません。
当然のことながら守秘義務のことなど様々なことがあるからだとは思いますが

夫が子どもたちに慕われている様子を改めて目の当たりにし、
上手く言えないのですが・・あたたかなものが胸に広がったのです。



病を得て早7年。

宣告を受けたときには、自分には50代、60代の日々はない、と思いました。
遺される夫、娘に対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

けれど・・何とかこの春には52歳になることができ
おかげさまで、毎日慌ただしく過ごしております。


思うのです、もしも7年前の秋
夫が「神戸の病院に行け!」と言ってくれなかったら。

あの時、なぜか
夫が頑なに「神戸の病院で診てもらえ!」と言ってきかなかったのです。

・・神戸までは遠い。
当時、腹部の激痛を抱えながら神戸まで行くのはつらいな…と思ったのですが
夫の言葉に従い、電車を乗り継いで神戸の病院まで行ったのでした。

神戸の病院では副院長が診てくださり
「炎症部分が広がっています。今まで痛かったでしょうに・・・。
 すぐに手術をしてあげますからね。」と言ってくださいました。

それまで地元の病院ではなかなか手術をしてくださらず
どんなに痛みを訴えても取り合ってくださらなかったのでした。

・・・同じ外科医でも、こんなに違うものかと驚いたことを覚えています。


神戸ではすぐに手術の予定を入れてくださり、12月に入院・手術。

これは後になって分かったことですが
術中、これは単なる虫垂炎ではなく非常に厄介な病気だと判明、
本当に注意深く手術をしてくださったとのこと、

有難いことに 現在7年間にわたり再発せずに済んでいますのも
神戸の先生方のおかげです。


そして、その神戸の病院に行け!とあれほどまで言い続けてくれた夫に
改めて感謝しております。

夫の言葉がなかったなら、私は神戸の病院に行くこともなく
そのまま腹腔内にて癌細胞が増殖、
おそらく無事ではなかったことでしょう。



そして、さらにまた4年前、突然言葉が出なくなってしまった私を心配し
再度「病院に行け!」と強く言ってくれた夫。

「たった数秒、言葉が出なくなっただけなのだから病院に行く必要はない、
 こんなことでいちいち病院に行っていては
 先生に「何しに来たんですか」と笑われるだろうし、
 第一、時間とお金と労力の無駄遣いだ!」と言い張って
なかなか病院に行こうとしなかった私を
夫は半ば引きずるようにして脳外科の専門病院に連れて行ってくれたのでした。

そこでの診断は「脳梗塞」。
有無を言わさずそのまま入院。

言語をつかさどる領域が危なかったらしいのですが
処置を早くしていただいたおかげで、後遺症なく10日で退院することができました。


20年以上お世話になっている生命保険会社の方が仰っていました。

「○○さん、あんた見てると いつもギリギリのところでセーフやんか!
 むっちゃラッキーなんやで!」と。

そして「あんた、この世でまだやらなあかんことがあんねんで!」と
励ましてくださいました。



仰ってくださった「むっちゃラッキーなんやで!」は
まさに・・夫がいてくれたからこそ。



夫婦というものは、確かに夫、妻であるわけですが
同時に兄であり、弟でもあり、姉であり妹でもあるわけです。

そして何より、この世をともに生きゆく戦友です。

助け合って生きてゆくことは当然のこととしまして
もしかしましたら 夫婦というものは
いのちの奥で互いに深くつながりあっているのかもしれません。




・・・あの春の日、18歳になったばかりの私は
教育学部の教室で 初めて夫と出会ったわけではありますが

その後 生涯をともにし
そしていのちまでも救ってくれる存在であるとは
当時、知るよしもなかったのでした。





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Last updated  2018.09.28 21:22:02
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