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カテゴリ:自分のこと
先日50年ぶりぐらいに、高校時代の部活の友人たちに会うことが出来た。クラス会には時々参加していたのだが、共通の友人がいて、「機会があったら会いたい」旨を伝えていた。彼女は時々彼らと飲み会をしているらしく、「一人女の子の都合が悪くなったので、来ない?ちょうど会いたいって言ってたでしょ」と連絡が来た。
体調も落ち着いたので、行くことにした。 待ち合わせ場所は育ったところなので、大丈夫。でも50年も合わなくてわかるだろうか・・ 定期的に会っている彼女がいるから心配はしていなかったけど、どれだけ変わったのだろうか。 もうお互い60代後半。待ち合わせの場所で会った途端、まったく変わっていないことに驚く。しゃべり方も雰囲気も同じ。年は取ってもこんなに変わらないものなのか。 一辺に当時に戻ってしまった。行きつけのお店に案内されて食事をしながら当時の話をする。 まるで昨日のことのようにはっきりと思い出せる。 私たちは放送部に属していた。私は最初体操部に所属していたが、持病の喘息が出てしまい、夏休みのが合宿が終わって退部することになってしまった。 その時、「放送部に入らない?女子私一人なの」と誘われt入ったのがきっかけだったが、あまりの楽しさに、その後卒業するまで、放課後、昼休みすべて部室に入り浸っていた。 最近知ったのだが、私たち戦後のベビーブーム、それ世界的にもそうだったらしいが「対抗文化」を生み出したらしい。 世界中で既成の権威や枠組みに抗した「文化」を指して用いられる表現だとのこと。 大したことではないかもしれないが、私たちも確かにそうだった。 放送部は部活動であったが、少し他の部活と違っていて、学校側についてるような感じだった。 入学式、卒業式、運動会、文化際、といった行事物には放送機材を使った放送技術が必要だったので、それを提供していた。昼休みや下校時間の音楽もすべて担当していた。 それらの中で、まず私たちは、長年使われていた音楽を全部廃止して、部活の活動費で全部好きなレコードを買ってしまった。 そして、下校時の音楽を「蛍の光」から「グリーンスリーブス」に変えた。当時あまりにも斬新で、みんなから「下校の時に、素敵な音楽を聴くことが出来てよかった」卒業生からの手紙をもらったりした。 その後、他の学校も「グリーンスリーブス」に変えたという話をずいぶん聞いた。 何かを変えたい、という思いがあったことは確かだ。「よく、顧問の先生が何も言わなったね。不思議だね」と当時を振り返って話し合った。 そんなことがいっぱいあったので、忘れられない。「忘れてなかった?」と聞いたら「忘れるわけないよ」と。 その後学生運動が始まったが、それも「対抗文化」の一つかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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