わたしがわたしであること。すごいぜ!ハーネマン!!
すごいぜ!ハーネマン。やっと2日前に、ハーネマンの伝記を読み終わった。ハーネマン書き方が複雑で、じっくり読ませる本だったけど、その分、筆者が綿密に時代背景とか、調べている感はあった。ハーネマンとは、ホメオパシーを発明した人物だ。いやぁ~~~、ホメオパシーの勉強をしていてハーネマンのことは授業でもならったけど、あらためて伝記を読んで、そのすざまじい人生に驚愕した。ひとことで言えば、ハーネマンは、ただ、ひたすら「どうすれば病気の人が楽に、病気を克服できるか?」ということを追い求めた人であった。肖像画から伝わるハーネマンのイメージはなんか温和なおじいさんというかんじ。いやはや、伝記の中の彼は激しく、神経質で、おたくだった。生涯に20回以上は引越しして、10人のこどもがいて、いつも、ど貧乏。医者としてうまくいかないので、翻訳したりして家計をささえ、信じられない大失敗をしたり、ほとんどの人にそっぽを向かれたりしても・・・彼はあきらめなかった!そして60歳代でホメオパシーを発明。その後、ホメオパシーの治療は広まるけれど、波乱万丈だ。伯爵から感謝のメダルをもらったかと思えば、すごい弾圧をうけたり、弟子がいやがらせによって、死に追い込まれたり、ホメオパシー教会から非難されたり・・・・(創始者なのに・・・)さんざんな目にあっているのだ。しかし彼は『病気から、どうすれば人を救えるか。。。』を追い求めた。そしてホメオパシーの研究を続けた。最初の妻がなくなってからは、ひとりだったけど、(娘が面倒を見ていた)ようやく79の時に、30以上年下のパリジェンヌのメラニーがハーネマンをおとずれ、結婚。ハーネマンは、ドイツを後にして、パリへ。そこで、やっと彼ははじめてお金にも困らず、居心地よく、ラブラブに愛するパートナーと共に、周囲から大きな敬意をもって接してもらい、80代にして、ようやく生涯でいちばん幸せな日々を送った。そして、最後まで患者を見続けた。すごいなぁ。ハーネマンは「自分」を生きた人だったんだなぁと思った。『他の人が、自分をどう思うか、どう評価するか、』という他人の規準に一切、自分をおかず、『わたしは、人を治してみせる』ということに焦点を当てた人生を歩んだ。ふつうの神経の人だったら、自殺してるのではないか、というような状況下でも彼は、耐え抜けた。やはり、それは「わたしは、こうなる!」という志があったからなんだろうなと思った。 わたしが、わたしであること。という生き方がいかに大切なのか、どれだけマイナスの風が吹き荒れても、わたしが、わたしであれば、心の中のともし火は消えないんだなぁ。しかし、(あの人、どうおもうだろう・・・)とかいう生き方をしていると、心に穴があくんだろうな。そこから風がとおりぬけて、自分のやりたいことが見えなくなってしまう。(他人に気をとられているから)いやはや。為になった一冊であった。ハーネマン、すごいぜ!