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2012年10月16日
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「お局真紀子の素敵な毎日」と自分で命名して、どうしても思い出してしまうエピソード。

東京にいるとき、私は豊島区に住んでいた。
駅前のラックには、ときどき「広報としま」という、豊島区役所作成の広報誌が置かれていた。
学生時代、部活が終わって駅前でたむろっていたときに、後輩の一人がそれを一部取ってきて、私に見せる。
「これ、長尾さんが作ったのですか?」

どう考えても、私が作るようなものではないし、パソコン(一世代前のワープロも)が普及するよりずっと前の話だから、こんな広報誌を個人で作れるはずがない。
何を勘違いしているのだろう、といぶかしげにじっとそれを見ている私に、横から先輩が指さしたのは


「広報としま」の「としま」の部分。
(つまり、「年増」ってか?!)

当時、私は花も恥じらう20歳。

さて、それから数年後、毎日山手線に揺られて会社にいくOL生活をしていたころ。

会社の仲間と電車のつり革につかまって、おしゃべりをしていた。
そのうち、後輩の一人が、
「あ、あれ、長尾さんのことですよね。」
と目線を上に何かをじっと見ている。

その目線の先をたどると、雑誌の広告がぶら下がっていた。
そこにデカデカと書かれていたのは、

「目白の女帝・真紀子」

私はすかさず言った。
「そう、本物の『目白の女帝・真紀子』は私」。
「あの、『真紀子』は、正確には『目白台』の真紀子。
私は、『目白の真紀子』」

彼女は、文京区目白台に住んでおり、私は豊島区目白に住んでいたのだ。
翌日からきっと、私のことを「女帝」と呼ぶようになるのだろう、と私は内心わくわくした。

しかし、私の目の前で、私を「女帝」と呼ぶつわものは現れなかった。





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最終更新日  2012年10月17日 11時10分29秒
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