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カテゴリ:お局真紀子の素敵な毎日☆OL編
「お局真紀子の素敵な毎日」と自分で命名して、どうしても思い出してしまうエピソード。
東京にいるとき、私は豊島区に住んでいた。 駅前のラックには、ときどき「広報としま」という、豊島区役所作成の広報誌が置かれていた。 学生時代、部活が終わって駅前でたむろっていたときに、後輩の一人がそれを一部取ってきて、私に見せる。 「これ、長尾さんが作ったのですか?」 どう考えても、私が作るようなものではないし、パソコン(一世代前のワープロも)が普及するよりずっと前の話だから、こんな広報誌を個人で作れるはずがない。 何を勘違いしているのだろう、といぶかしげにじっとそれを見ている私に、横から先輩が指さしたのは 「広報としま」の「としま」の部分。 (つまり、「年増」ってか?!) 当時、私は花も恥じらう20歳。 さて、それから数年後、毎日山手線に揺られて会社にいくOL生活をしていたころ。 会社の仲間と電車のつり革につかまって、おしゃべりをしていた。 そのうち、後輩の一人が、 「あ、あれ、長尾さんのことですよね。」 と目線を上に何かをじっと見ている。 その目線の先をたどると、雑誌の広告がぶら下がっていた。 そこにデカデカと書かれていたのは、 「目白の女帝・真紀子」 私はすかさず言った。 「そう、本物の『目白の女帝・真紀子』は私」。 「あの、『真紀子』は、正確には『目白台』の真紀子。 私は、『目白の真紀子』」 彼女は、文京区目白台に住んでおり、私は豊島区目白に住んでいたのだ。 翌日からきっと、私のことを「女帝」と呼ぶようになるのだろう、と私は内心わくわくした。 しかし、私の目の前で、私を「女帝」と呼ぶつわものは現れなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年10月17日 11時10分29秒
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