良識が社会的認知を阻む
昨日の続き。 障害者の中にも、テレビに出たいと思っている人がいる、ということを昨日書いた。 「24時間テレビ」を批判する人の中には、「年に一度だけ脚光を浴びせてどうする」とか「障害者を利用している」というようなことを言う人もいる。 しかし、年に一度だけでもテレビで大きく取り上げられ、その存在が認知されるのであれば意味がある。年に一度も取り上げられない方がましだとは言わないだろう。 「24時間テレビ」は、家にいて暇なときは所々見る。全く知らなかった障害や病気があることを知ることもある。知ったからといって何かできるわけではないし、募金するわけでもないのだが、知らないよりは知っている方がいい。出演した人も、知ってほしいから出演したはずだ。 「バリバラ」には、障害をネタにして笑いを取ることを目指している人が登場する。 ぜひ来年の「24時間テレビ」は「バリバラ」と一緒になって「Show-1グランプリ」をステージで実施してほしい。 そんなことをすると、「障害者を見世物にしている」という批判が起こることは容易に予想できる。私も、子供の時にはそう思った。 ミゼット・プロレスというものがある。小人プロレスとも言う。低身長症のレスラーによるプロレスだ。一度だけ生で見たことがある。基本的には笑いを取るのだが、掌打やアキレス腱固めなど、流行の技を取り入れて客をわかせていた。 私が子供の頃、その人たちがテレビに出たことがある。バラエティ番組などで、簡単に投げ飛ばされたりして笑いを取る役割だった。子供だった私は、「障害者を笑うとは何事だ」と非常に嫌な思いがした。同じように感じる人が多く、抗議があって、テレビでは見なくなった。 しかし。 大人になり、プロレスファンになり、「別冊宝島」で彼らのインタビューを読んだときに、自分が間違っていたことを知った。 彼らにとっては、テレビに出るということは、社会的に認知されるチャンスだったのだ。それを世間の良識がつぶしてしまった。くやしかったろう。そのままテレビに出続けることができれば、低身長症の人たちには新たな希望が生まれたはずだ。 「24時間テレビ」で障害者を取り上げることで、社会的に認知されるのならそれはそれでいいことだ。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ