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カテゴリ:山形県
米沢牛の牛鍋を食べた後、目的地に向かう前に ちょっと寄り道! 上杉謙信を祀る観光名所 上杉神社へ。 神社のすぐ横には、上杉博物館 伝国の杜という施設があり、イベント毎に 上杉家の歴史の展示物が飾ってある博物館です。織田信長がもっとも恐れていた 上杉謙信に対し友好関係を築いておこうとして贈った、具足や京の鮮やかさを 描いた国宝上杉本洛中洛外図屏風等が飾られています。 伝国の杜/開閉:9:00~17:00 料金:一般400円、学生100~200円 時間が無いので今回は、パス! 上杉鷹山の銅像 上杉鷹山は、宝暦元年(1751年)7月20日、日向国(ひゅうがのくに~宮崎県)高鍋藩主「秋月種美(たねみつ)」の次男として、江戸で生まれました(幼名「直松」)。母の「春姫」は、四代目米沢藩主「上杉綱憲(つなのり)」の孫娘でした。 宝暦10年(1760年)に八代目米沢藩主「上杉重定(しげさだ)」の養子となり、元服(成年の儀式)の際に名を「治憲(はるのり)」とします。翌年の明和4年(1767年)に、家督を継いで弱冠17歳で九代目米沢藩主となった治憲(鷹山)は、傾いた米沢藩を救うため、まず「大検約令」発し、役人の贅沢や無駄を正すことから、藩政改革への第一歩を踏み出します。 その後、農政を改革し、教育を進め、産業を発展させていくのですが、最も大きな産業開発は「織物業」で、置賜特産の青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり) に始まり、これらを基として養蚕(ようさん)・絹織物へと発展していきます。 鷹山という名前にしたのは、52歳からで、文化3年(1806年)には、56歳となった鷹山が「養蚕手引」を発行・配布します。文政5年(1822年)に72歳で死去しますが、生涯を米沢藩の人々のために尽した功績は、初代 上杉謙信と並んで後世に語り継がれています。 J.F.ケネディに日本で最も尊敬する政治家はだれですか? と聞いたところ、上杉鷹山と答えたとのこと。 それだけ、すごい人のなのですね、、、 「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり」 by 上杉鷹山 本堂へ。 山寺を見ちゃった後だと、なんか迫力に欠けるね~、、、 という問題では、無いのですがね・・ 正しい参拝の作法だそうです。 まったく知りませんでした・・・ もっと、ゆっくりと見学したかったのですが、これから 山越えをしなくてはならないので先を急ぎます。 山形県と福島県の県境にある峠頂上付近へ。 眼下に見えるのは、桧原湖(檜原湖) 美しい景色ですが、山を登るにつれて気温が低くなってきたので (10℃ぐらい)さっさと福島県内に入ります! 桧原湖(檜原湖)を近くで見学。 こじんまりとした湖で、展望台からだと湖全体が見渡せます。 バスボートを牽引している車をかなり見かけました。 ブラックバスを釣るためにボートを運んで来るなんて、すごい熱意です。 (お金も掛かるし・・) 続いて猪苗代湖。 こちらは、広すぎて海みたいですわ。 ほんとは、ここの湖岸で野宿をしようと思っていたのですが 風評被害の一番酷い、福島県で泊まらなくてどうするの?空気読めないヤツ! って言われそうだったので、当日にホテルを予約しました。 しばらく走って、福島県白河駅近くの白河ビジネスホテルに到着。 白河と言えばラーメンが有名ですよね。 昔、ラーメンを食べるだけのために、何回か訪れたことがあります。 あれれ、、駅から歩いて3分のホテルなのですが、街に人の気配がしませんね・・・ 大丈夫か福島?そして白河! つづく(次回、最終回) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年02月14日 08時56分28秒
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