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テーマ:三国志(507)
カテゴリ:三国志めぐり
2009年のスタートは三国志遺跡からでした。
またまた昭化古城へ行きました。 剣門関にはまだ行ってないのに。 姜維城などにも行ってないのに。 四川大学の現役留学生である三国お宅(マニア?)のツァイズが鮑三娘墓に行きたいと言ってきました。私はこれまでに数度も広元昭化に行っているのですが、その近くにある蜀の桟橋”明月峡”には行ったことがなかったので、この二つを目指して出陣しました。 午後の列車に乗って広元へ行き、広元から昭化行きの小型バスに乗って昭化へ。昭化に着いたときは夜8時くらいだったでしょうか。おととしくらいに観光化された昭化の街には、提灯が赤々と灯っていました。 宿泊先の怡合園に行くと、もう宿はやっていないと。 おばちゃんとおじいちゃんが私のことを覚えててくれて「また来たのか」って言ってくれたのがうれしかったです。そして、おばちゃんが近くに新しく開いた現代版の宿に安値で泊めてくれました。 近所の風呂屋(シャワー屋)のおじちゃんも覚えててくれてた気がする・・・妄想だろうか。 次の日、新しく生まれ変わった昭化を見てまわりました。 観光化されて、昭化の落ち着きがなくなった感じもあったけど、やっぱりのんびりしてていい街。お店とか色々出来てて、観光客もちらほら見かけます。街のお店やってる人に商売どうですかいと訪ねれば、「お客さんは以前より増えたけど、自分の車で来てるから、見て何も買わずにすぐ帰っちゃう。」と。ツアー客もいるそうですが「ツアー客の食べるもの、泊まるところは決まってるから、こんな小さい店はもうからない」と。 良しも悪しもあるのだなぁと思いました。 昭化の事はこのくらいにして。 今回、昭化と明月峡を回ったのですが、明月峡が色々ありました。 二日目の午後、小型バスに乗って広元へ。 広元の南河バスセンターそばにある橋を渡ってすぐ右側にある”88酒店”に一泊しました。 ここは一部屋90元、建物全体に空調がついてるのか、エアコン入れてなくてもポカポカ。空調の空気孔などないのにとてもぽかぽか。大好きです。 で、三日目の朝、朝天行きのバスに乗って街まで行きました。 朝天のバスの停まる大きな較差点からちょっと坂を上り、右に下る坂を下っていくと明月峡に着くそうです。距離にすると5キロほどとか。しかし、四川地震後の復興がまだ及んでおらず、がけ崩れしたままだと。明月峡に行くには、高速を通ってトンネルを抜けていかなければならないと。 そのトンネルというのは来る時に通ったトンネルなのですが、すごく長いし、排気ガスがすごい・・・あれを歩いて通るのは嫌だ!でも、三輪車で行くと片道20元だなんていわれる。5キロほどの道に片道20元は高すぎる。 歩いて行けるとか行けないとか、地元民の意見に左右され、結局、三輪車でトンネルを抜けて行くことにした。片道15元に値切って。 三輪車が走り出し、トンネルを抜けて少し走ったところで右折した。 右手には大規模な工事が行われていて、大型ダンプなどが何台も入っては出て行く。 三輪車、その工事中の砂利のなかを走り出した。10分くらいだったかな。 ダンプのタイヤの跡で出来た道を通って、たくさんの水溜りを越えて、砂利が石ころになって、ダンプも入ってきてない雑草だらけのところを走り、三輪車が停まった。 明月峡を謳った大きな看板が目に入る。その下には、雑草が伸びきっている駐車場がある。 目の前には、小さな建物があり、その奥には柵が見える。 久しく人の往来がなかったのだろう、とても静まり返っていた。 でも、こんなところに来ても、歩いてかえるのは大変・・・ 往復で40元出すから帰りもよろしくということにしてもらおうと思って三輪車を降りた。 そしたら、おじちゃんも三輪車のエンジンを切り背伸びをして「あっちに行ってみよう」と。 地震後、がけが崩れて街から明月峡へくる道が寸断されたため、ここは営業一時停止となっていた。遠回りして、あんなにガタガタされてまで明月峡に行きたいと言う人もそんなにいないだろう。 蜀の桟橋は柵の中にある。2メートルほどの高さのある石垣を乗り越えれば中に入れる。 ここは、地震後、桟橋のチェックや岩のチェックをしていないため、中に入るのはとても危険。危険です。 色々写真を撮ったりしてちょっと遊んで帰った。 おじちゃんには、やっぱり申し訳ないので、往復で40元だした。 いけてよかった。 やっぱり孔明はすごいです。 あ、そうそう。 費イの墓ですが、廟が出来てて、しっかり保護されていました。 なくなることもありません。 ただ、入場料として昭化の観光パスポート20元(学生10元)が必要です。これさえあれば、7箇所くらい入れます。まぁ、なんてことない八卦井戸も有料になってましたが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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