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カテゴリ:旅 / 小さな旅
桜木町で下車した私は、長いホームの端から端までを注意深く眺めた。
が、どのベンチにもKM先生の姿はなかった。 改札の外にはベンチがないから、と ホームで時間の調整をして戴くようお願いはしたものの、 仕事を終えてすぐ、駆け足で電車に飛び乗った。 待ち合わせの時間までまだ30分はあるが、 既に、改札の外に違いない。 階段を駆け下りると、 果たして、改札口から少し離れた人込みに遠来の客人を見つけた。 どんな時も、人を待たすことのない方である。 黒の上下にアイボリーのジャケットとベージュの帽子、 見慣れた黒のショルダーバッグ。 それにしても、もう片方の肩に掛けた黒い袋の何と大きいことか。 駆け寄った私は、挨拶もそこそこに、近くのコインロッカーを勧めた。 人込みを通るには余りにも大きすぎる袋である。 祈るような思いもあったが、 軽いから、と固辞するあたりも以前と少しも変りなかった。 その元気さに舌を巻いてしまう。 もう一人の友人の到着を待ってランドマークに向かう。 70年前、此処から毎日渋谷に通っていました。 KM先生は國學院大學の出身である。 70年前! 歴史上の人物と歩いているような錯覚に陥る。 私はまだ生まれていない。 エスカレーターで登り、動く歩道を歩く。 途中から友人が黒い袋を担いだ。 右手に横浜の海と係留した「日本丸」や「みなとみらいの」景観が広がる。 港は、なぜか旅情を掻き立てる。 あの時から丁度20年、 中国も炎暑の毎日であった。 北京の革命博物館と上海美術館での記念展に参加した折のことである。 北京で皆と別れた後、桂林に飛び、漓江下りで悠久の時の流れを楽しむ。 杭州の西湖、満月に逆流するという銭塘江、王羲之の故郷 蘭亭、 紹興では魯迅の生家と記念館の三味書屋などなど、 上海に向かう列車からは、 高知学芸高校生が客死した列車事故現場を眺め黙祷。 それぞれの記憶は未だ鮮明に残る。 NHKの往年の名アナウンサーN氏、 平安かな(古筆)の料紙(伝統工芸)では日本一(ならば世界一)の社長K氏、 四国徳島の書道家Y氏、私の門下生I、 4人は既に泉下の人となってしまった。 京都のかな作家で卓球現役選手KM先生と 高校の先生T氏と私を含め総数14人の、 14日間の旅であった。 観光だけでなく、折々に歌を詠み、俳句を吟じ、漢詩を朗す。 Y先生は、帰国後生徒に聞かせるのだと、 ウォークマンに実況放送ならぬ解説と感想まで録音する。 お酒を飲んでは喋り、喋っては又飲む。 誰かが詩を詠むと、俳句を書いたメモが回り 自作のものだけでない。 杜甫や李白は言うまでもなく阿部仲麻呂に菅原道真・・ 行く先々で次々に話題は尽きない。 正に文人達の集まりである。 多分、もう二度と味わうことはないだろう。 帰国後数年は 毎年自由が丘に集まって旧交を温めたものだったが・・ 会いたかった! 京都から駆けつけたKM先生の第一声である。 手を取り懐かしげに何度も呟く。 日本一の高層ビル・ランドマークのホテルのレストランでは、 眼下に広がる街の、何処というでもなく、じっと遠くを見つめながら、 皆、早よ~いて(逝って)しまわれましたなあ~ 早すぎる! 一瞬 語気を強めた。それもその筈、 最高齢の彼は94歳。今も、卓球の最長老の現役選手である。 今、桂林の旅を思い出し、お酒を飲んでいます。 一人暮らしも20年、今年は元気です。来年はわかりません。 人は、私のことを化け物だとか、怪物だとか言いますが・・ そんな手紙を手にした私は、上京の折に合わせての 「桂林会」の同窓会を提案した。 3人だけの一見寂しいものではあったが、 3人には、20年前の、 かけがえのない旅人達の笑顔が甦っていた。 ・連れ立ちし友と別れの宴開く 姑姐(くうにゃ)の詠みし詩の沁みゐる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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