喪失感
お盆も終わっちゃいました。今年は実家に帰れない年なのか、今回も東京には戻りましたが実家には帰省できませんでした。義姉のお母さんの容体が思わしくない、という事で8日から母は兄の家に泊まっていたのですがその母から10日の夜「あなた達も東京に戻る時には喪服を用意してきた方がいいかもしれない」と連絡がきて、そんなに悪い状態なのか信じられない気持ちでいました。頭を整理できないまま寝ましたが、翌早朝には訃報が。こんなにもあっけなく逝ってしまうなんて。6月下旬に会った時には、体調が悪いなりにも食事を一緒にしていたのでそれが最後の姿だなんて少しも思わなかった。その日の夜にオットと帰るつもりで新幹線も指定をとってあったのですが私だけ一足先に帰る事にし一人新幹線に乗りましたが外の景色を見ていると、色々な事が思い出されて涙が止まりませんでした。15,6日が通夜・葬儀だったのですが、それまで兄夫婦は自宅に戻れず姪二人と甥の面倒は母が見ることになるので私とオットとで毎日フォローしました。小6の姪二人はさすがに状況を理解していましたがもうすぐ4歳の甥はまだよくわからないようで。「おばあちゃん、もう来られないんだって。なんでだろうね。寂しいね。」などと時々言い出すので、もう切なくて切なくて・・・それでも両親のいない約5日間、かなり寂しい気持ちもあっただろうにグズる事なく我慢してくれて本当に助かりました。納骨、通夜、葬儀・・と、嫌でも亡くなった事を思い知らされたわけですがそれでもまだ実感がわかず、兄の家にいると今にも鍵をあけてひょっこり現れそうな気がしてなりませんでした。長年クリニックをやってきて顔も広い人なので、亡くなった事が知れると、通夜・葬儀もえらい事になるから・・と故人の遺志で、自宅に戻る事もなくそのまま密葬という形をとりましたが来週、医師会やら各方面に届け出をするのでそれからがいよいよ大変になりそうです。7月中旬まで診療していたし、入院してからも8月初旬まではスタッフに処方箋などの指示を出していたくらいですから、みんな驚くだろうな・・・喪主をつとめた義姉は気丈にしていましたが、これからがまた心配です。それにしても・・・武蔵野日赤に入院していたのですが、主治医(外科)の態度があまりにひどくて何度聞いても、腸が煮えくり返る思いです。話を聞く限り、とても3、40代の医者とは思えない態度。PC画面の数値ばかり見ている医者はやはりダメですね。昨日は名古屋に戻る予定にしていたので朝起きてまずはコインランドリーへ。洗濯終えて掃除して、美容室へ。美容室ではあまりに疲労からか、ヘッドスパ中に爆睡・・その後は運転免許の更新。と自分のやる事がたまっていてそれを全て済ませて夜になってから名古屋に戻りました。帰る前に、兄の家にもお線香をあげようと立ち寄ると母ももう帰るし、私も名古屋に帰るし、という事で甥は寂しそうな顔をしましたが「でもママもいるし、パパも今日は帰ってくるから寂しくないね。」と言っていました。やっぱり両親が留守というのは寂しかったんでしょうね。甥はまだ4つだけど・・・沢山かわいがってもらった事を忘れないでほしいと思います。