生誕100年 エラリー・クイーン 北村薫の語るクイーン
眩暈堂開業まであと312日!生誕100年 エラリー・クイーン昨日の新聞に北村薫がエラリー・クイーンについて語っていました。エラリー・クイーンといえば『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』の3部作や国名シリーズなどで有名な作家ですね。Yの悲劇といえば有栖川有栖の『月光ゲーム―Yの悲劇’88』で今は知られているかもしれませんし、彼の探偵・火村英生の『ロシア紅茶の謎』にはじまり最新作『モロッコ水晶の謎』まで続いている国名シリーズなどもあるのですっかり有栖川有栖の専売特許みたいになっているかもしれませんね。クイーンにこだわっている作家といえば、クイーンと同じように自分と同姓同名の探偵役を用意している法月綸太郎(最新作は『生首に聞いてみろ』)もクイーンと同じ悩みを作品中に抱えて書き続けています。今回読売新聞に記事を書いていた北村薫は『ミステリーズ!Vol.10』という雑誌の中でエラリー・クイーンが主人公の連載『ニッポン硬貨の謎』を掲載していました。これほど日本の作家に愛されて影響を与えている作家はちょっと他にはいないのではないでしょうか?後半の作品も含めてこの機会に読み返してみようかな。お奨め作品リストXの悲劇Yの悲劇Zの悲劇オランダ靴の謎エジプト十字架の謎ギリシャ棺の秘密災厄の町十日間の不思議最後まで読んでくださってありがとうございます。ご意見などあればコメントしていってください。-----ここから読売新聞記事全文です-----生誕100年 エラリー・クイーン挑んだミステリーの限界 小説の題名に、「アルファベット一字」の「悲劇」という形のものを見ることがある。最近のテレビ番組にもあった。エラリー・クイーンの『Xの悲劇』に始まるシリーズが、感覚的には、これらのネーミングの下敷きになっている。仮にミステリーに縁がなくとも、書店の棚で「悲劇シリーズ」を目にし、記憶の片隅に残した人は多いだろう。 「悲劇」の上に冠されるのは「アルファベット一字」だけとは限らない。日本ミステリーでいえば、古くは大御所の一人、木々高太郎が『美の悲劇』『真の悲劇』『善の悲劇』という未完の三部作を構想している。また現代ミステリーの旗手の一人、法月綸太郎は『一の悲劇』『二の悲劇』と続く作品を書いている。これらのことからも、クイーンが日本でいかに広く知られ、また作家達に敬愛されて来たかが分かる。 クイーンを指しては、「彼」ではなく[彼ら」と呼ばねばならない。いとこ同士のフレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーという二人の合作によって、作品が生まれているからだ。両人ともに、一九〇五年の生まれ。---というわけで、本年は、作家クイーン生誕百年の記念すべき年となる。作家と、わざわざ記したわけは、彼らの生んだ作中の名探偵もまた、エラリー・クイーンというからだ。 さて、作家エラリー・クイーンとは、どのような存在なのか。ミステリーを徳川家にたとえるなら、さしずめエドガー・アラン・ボーは、祖と称される清和天皇にあたるだろう。コナン・ドイルが家康か。そして、黄金時代を築いた家光にあたるのが、クリスティ、カーそして、クイーンだろう。 中でも、クイーンはわたしにとっては特別な一人である。最近、名探偵クイーンが日本で活躍する長編を書いてしまったぐらいだ。同じ気持ちを抱いているミステリーファンは、少なくないと思う。子供から少年になりかける頃、本好きならまず文庫に手をのばし、自分の蔵書を形作って行く。金銭的に、どうしてもそうなる。小学校高学年の頃、そうやって買った一冊が新潮文庫の『Yの悲劇』だった。そこから、『エジプト十字架の謎』などの、いわゆる「国名シリーズ」へと進んだ。クイーンの初期作品群である。それらの、夾雑物を排した論理と仕掛けの世界が、わたしには、いかにも清潔なものに思え、好ましかった。 そういった、いわゆる本格ミステリーの典型のような作品から、時を径るに従って、彼らの書くものは変貌して行く。純朴な読者であったわたしは、初めて後期の作品に触れた時には、「これが同じ人の書いたものか?」と、とまどい、極端な場合には裏切られたような気にさえなった。 実は、作家エラリー・クイーンの偉大さは、まさにその変貌の経過にある。 クイーンは、最初、作品を「読者への挑戦」を間に挟む、論理の物語として書き始めた。つまり、「犯人は誰か」という話になる。そこで犯人の設定に、何らかの工夫をこらすことになる。そういった工夫には限界がある。エラリー・クイーンは、自らのうちに必然的に「行き詰まり」を内包する形でスタートを切った作家なのだ。これこそまさに、「ある意味では、すでにポーが全てのパターンを書き尽くしている」とさえいわれる本格ミステリーの抱える、ひとつの重要問題なのだ。 クイーンは、解決を「小説を書く」といった方向に逃げず、正面から受け止め、苦悩した。本格ミステリーを愛する者は、無限の敬意と愛情を彼らに捧げるのを惜しまない。そのわけは、実にこの一点にある。クイーを指す、「アメリカのミステリーそのもの」という有名な言葉がある。これをいいかえれば、彼らの軌跡こそ、まさに「本格ミステリーの姿そのもの」なのである。北村薫 1949年、埼玉県生まれ。高校教諭経て作家に。「夜の蝉」で日本推理作家協会賞。著書に,「スキップ」、「ターン」など。読売新聞 2005年4月21日