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2006.09.16
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カテゴリ:希死念慮
感情が薄れてきている。

何も嬉しいとは思えない。

怒れる力もない。

悲しみに浸れる程余裕はない。

何が楽しくて生きているのであろう。







どうやら自分を見つめ過ぎた

付けが回って来たようである。

漠然と、「消えていしまえたら良いのに」

と言った想いが湧いてくる。







偶には視線を変えねばならない。

雨雲が広がる曇り空も、道端で健気に咲く

名も知らぬ花も、その自然と言う大きなものを

感じ取り、心を洗い流す事が

今は必要なのかも知れない。







摂食障害。拒食。過食嘔吐。

長い間これらに乗っ取られた生活を

送ってきた。今更、何が出来るというのであろう。

日中、食べ物を見ると吐き気がして

只管、麦茶若しくはミネラルウォーターを飲んで凌ぐ。

夜になれば決まった時間に過食して嘔吐する。

そこから目線を外す事ができない。

ただ、『そのような状態になっている自分』を

見つめるしかない。

そして思うのは、



『完全に食べ物に依存している』



と言う事である。

虚無感により心にぽっかりと空いた穴を

塞ごうと食べ物を詰め込む。

一時は満たされているのかも知れないが、

嘔吐してしまった後に残るのは、

やはり同じ虚無感である。







話は変わって。

子どもの頃は、“本当のお母さん”が見えなかった。

それは仕方の無い事で、私を打擲する母は鬼のようであったし

物凄く恐いという存在であった。

無論、優しい面もあったことは忘れていない。

そしてとても脆い部分があったことも。

しかし、今は“本当のお母さん”

体感できるようになってきている。

見えなかった、どこまでも深い優しさと温かさを

持った母を、見られるし感じられる。

私はその母を大切にしていきたい。







最初に述べた感情のことであるが、

これはあらゆる人間関係など『関係』に因って

喜びや怒りや哀しみや楽しみが生まれるのである。

勿論、病気もその『関係』から発生する。

今、私は母と確かな関係を持っている。

穏やかな日を送れると、ゆったりとした

温かい気持ちでいられる。

何かささくれ立った気持ちになっていると、

母と距離を置いてしまう。

そんな時は過食嘔吐も爆発する。

狭い関係ではあるが、大切にせねばならないものだと

言う事は一目瞭然である。







自分を見つめすぎると、周りが見えなくなる。

見なければならないのは、新しく芽吹いてきている

新芽の部分である。普通ならば、直ぐそこに視線をやれるが、

私は子どもの頃受けた虐待によって、“自然な目線”を

奪われてしまった。常に人の顔色ばかりを窺い、

自分の思ったように進む事が出来なくなる。

それらを打開してくれるのは、自然を感じ取る事である。

自然によって、歪んでしまった目線を洗い流し、

余裕を持って自分の事について考えられたら

それは素敵なものかもしれない。

何れにせよ、焦らない事が重要なのであろう。





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Last updated  2006.09.16 20:33:47
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