暗い部屋の中に、独り。
容赦なく襲ってくる頭に電流が流れる感覚は意識を喪失しない限り絶える事はない。また、お薬による離脱症状は5日前後で治まるはずだと聞いたけれど1週間以上続いている。“5日前後”というのはきっと普通の人ならばであろう。私は、普通ではない。毎日その症状が苦しいのに過食と嘔吐を続けているしお酒だって飲んでいる。症状による苛立ちや焦燥感でろくに眠れないし自己判断で規定量以上のお薬を服用している。主治医の指示通りSNRIは抜いて抗うつ剤は就眠前のテシプールだけになったのが影響しているのかも知れない。うつ病なのに日中、抗うつ剤を服用していないのであるから抑うつ状態、希死念慮が和らぐ事なんてない。最近まではSNRIの効果なのかある程度過食衝動に左右されないでいられた。だが、今日はまるでその衝動が暴発してしまったかのように食べては吐き、吐いては食べて・・・の繰り返しであった。夜中から始まったそれは、朝9時過ぎまで続き、結局眠れたのは11時を回る頃であった。無論、その間も全てを終えた後も知覚障害の症状が続いていた。脳に電流が走る感覚は例えようのない不快感なのである。手っ取り早く意識を消したかったのでデパスを数錠服用した。眠りから醒めたのは4時間後であった。多分、緊張感がこころに蔓延っている事も原因なのかも知れない。明日、母と映画を観に行く事になっている。その作品の上映時間を調べたら12時35分からというのが母の都合に丁度良いのでその時間に決まった。その前に病院へお薬を取りに行かねばならないし映画館は少し郊外にある。その映画館に決めたのは、新しくて大きい施設だからである。「絶対に断る事は出来ない。」「行けないなんて言ったら、 何を言われるか分からない。」「一旦眠ってしまったらきっと起きられないから ずっと起きていなければならない。」等という心配事が神経を昂ぶらせて眠りの世界、安らかな世界から程遠い所へと意識は向かわせた。自棄を起こした私は禁忌を破り朝の8時、発泡酒を飲んだ。お酒を飲んだら本当は余計に眠り難くなる事は承知していたが、ふわふわとした感覚が欲しかった。あわよくば、その感覚のまま眠りに就けたらと無謀な事を考えたのである。勿論、失敗に終わった。発泡酒を飲んでいると何か食べたくなったのである。“アルコールを摂取すると食欲が湧く”という事をその時は全く考えていなかった。何か消化を赦せるものをとカロリーが殆ど無い昆布のおつまみを少しだけ食べてみた。発泡酒を飲んでは啄ばんで飲んでは啄ばんで・・・。その内、苛々してきてとうとう本格的に食べ始めてしまった。「食べて、吐いて、疲れて眠ろう。」という浅ましい気持ちが生まれたからである。兎に角、早く満腹感を得たかったので麺類ばかりを食べた。咽喉が少し傷ついていて痛かったけれど無視して食べ続け一連の行為を終わらせた。その後、朦朧とする意識の中煙草を吸ってもっと意識を混濁させてお薬を服用してやっと眠りに就けたのである。起きてからの精神状態は本当に退廃していた。努力も何もしていない自分。堕落していく自分。情けない自分。己に対する嫌悪感が募るばかりでとうとう身体が動かなくなるほど抑うつ状態が酷くなった。身体を横たえ天井の一点だけを見詰めただぼんやりと呆けていた。そうしている内にまた離脱症状が酷くなり自分を滅茶苦茶に壊したい願望が襲ってきた。剃刀は、手の届く所にある。だが、手首や腕に傷を付けたとしてもそれを隠す包帯やリストバンドは今はもう、無い。腕や太腿の一番痛みを感じる部分を只管殴った。頬を殴り頭を殴り“痛み”によって訳の分からない、もやもやとした気持ちの悪い感情を昇華させようとした。その行為に疲れた頃、漸くシャワーを浴びる時間が来たのでふらふらして息を切らしながら必死で全身を洗った。相変わらず今日もスーパーで商品をカゴに入れている間は、頭の中で小人達が罵言を吐きながら楽しそうに舞い踊っていた。「死んでしまえ、このクズ。死ねよ。 そうすれば楽になるんだぞ。」私は「そうだね。そうだね。」とこころの中で頷いた。そしてどういった死に方が楽なのだろうか。もう沢山痛みや苦しみを感じてきたから死ぬ時は楽な方が良いといった自分勝手で阿呆な考えを巡らせた。お薬を沢山服用しての入水自殺か、一酸化炭素中毒か。死ぬ方法ばかりを頭に思い描きつつそれでも身体は冷静に食品をカゴへと入れていた。未来に望みも無い。生きていく気力も無い。母も祖父母も生きているから、生きているだけ。「母を喪ってしまったら 私も直ぐ後を追う事にしよう。」という結論に至ったのでもう死ぬ事について考えるのは一旦止めた。それまで、生き抜かねばならないその重さ。私の存在は耐え切れないほど軽いのに命だけは重く扱われる矛盾。生きる意味。考え始めると、本当にきりが無い。取り敢えず、今はどんな苦しみがあろうとも辛さがあろうとも自傷したい気持ちがあろうともそれらを無視して生きねばならない。此処の所、文章を纏める能力も落ちている為、無駄に長い言葉の連なりに、自分自身辟易している。一体自分が何を想い、何を遺したいのかさえ判断が出来ない。明日は、物凄く久し振りに映画館へ行く。平日なのでそれほど人は多くないと想うけれど、私にとっては“外出する事”に対する恐怖感だけが募っていくのである。こんな苦しい中でも、嬉しい気持ちになるのは、大好きな女優さんが出演しているCMが頻繁に流れている事と近所のスーパーでも某アイスクリームを取り扱い始めたという事があるからであろう。他の時間は、いつも母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになったり知覚過敏が酷くなって苦しくなったりする一方である。もう少し、気楽に物事を捉えられるよう努力したいものである。