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カテゴリ:過去の事
何もかもが厭になってきている。
全てが億劫で堪らない。 そんな時は横たわり、 心身を休めれば良いのかも 知れないが、何故か じっとしている事が出来ない。 横たわっていると、厭な想い出が 蘇ってきて、苦しくなるのである。 窓を開け放ち、新鮮な空気を 胸いっぱい吸い込んでみても、 やはり『傷』は『傷』として 蘇り、抑うつ状態に陥る。 どんな気分転換もことごとく 失敗に終わり、 結局お薬で脳を休ませねば ならない状態になる。 お薬は飽く迄も病気の補助的な ものであり、病気そのものを 治す訳ではない。 しかし、お薬によってこころが 安定して脳が休まるので、 きちんと処方量を服用している。 少し眠気はあるが、そうなると 様々な事を考えなくて済むので 些か楽になる。 そうして自分を誤魔化しながら 何とかやっている。 私は、コンプレックスの塊である。 背が157cm弱しかない事、 顔が卵形の面長である事、 歯並びが悪い事、 太り易い事。 些細な事であるが、 私にとっては大きな 悩みの種である。 しかし、ダイエットをして痩せた事で 幾分コンプレックスは解消された。 そして痩せて細くなった身体自体が 全てのコンプレックスを覆して くれるような気さえしていた。 でも、それは幻想であった。 ダイエットがきっかけで 摂食障害に長年苦しむ事に なったのであるから。 しかも過食嘔吐を繰り返した所為で 歯はボロボロになった。 サプリメントを摂取するように なるまでは、肌も赤いぷつぷつが 口の周りに広がっていた。 そして歪な痩せ方をした体型になった。 ただ、『綺麗になりたくて』ダイエットを したのに、その結果が 摂食障害とその他の病気を 長く患う事になるのは何とも皮肉な事である。 子どもの頃は、笑うと右頬に現れる えくぼや、左手の甲にある小さな黒子も 恥ずかしいと想っていた。 考えると、私は小さい頃から その劣等感の為に思い切り自分らしく 振舞う事が出来なかった。 でも、今は殆ど気にしていないものが 多くなった。 面長であろうが、えくぼが出来ようが 黒子があろうが、もう私はこの病気と 共に生きているだけで精一杯なのである。 そしてそうする内に、“ありのままの自分”を 受け容れられるようになった。 けれども、絶対に『太る事』だけは 赦せない。今もこれだけは譲れない。 幾ら不健康になろうとも、 緩慢な自殺であると言われても、 痩せている事だけが私の “アイデンティティ” になっている。 痩せていないと自分の価値が無いとまで 想い込んでいる。 ここら辺が私の歪んでいる所なのであろう。 1口固形物を食べただけでも 即過食嘔吐という行為に結びつく。 もう私はどうしたら良いかなんて 分からず、困惑するのである。 そして私は、中学1年生の頃から 自傷を繰り返していた。 どうにもならない自分の葛藤や 苦しみを手首に刻み込んでいたのである。 最初は、裁断鋏で表皮を切って少し 血が滲む程度であった。 それが高校生になってから、 カッターで腕を切るようになった。 高校生の頃は、1度飛び抜けて 良い成績を取ってしまったから、 それを落としてはならないと言う 自分へのプレッシャーや、 レベルの低い担任が生徒をからかう事を 止められない自分がもどかしいという 想い。そして周りの皆は適当に遊んでいるのに 私はその間必死で勉強しなければ ならないと言った寂しさが 自傷に走らせていたのであろう。 そして大学生になったら 家庭内の環境が悪くなり、 どんどん自分の居場所が無くなっていった。 病気の事も僅かな理解さえ得られず、 病院やカウンセリングルームでは 苦しさを吐き出せても 家に帰ると貝の様に自分を閉ざした。 部屋で小さくなって過食嘔吐を 繰り返し、哀しさや悔しさ、辛さが 溢れて今度は剃刀で深く手首を 切るようになっていた。 そしてそれは、愛していた彼氏に 突然ごみの様に棄てられてから 勢いを増し、毎日手首を傷つけた。 しかし、時間が失恋の傷を 癒してくれた事。そして家庭環境が 私にとって過ごしやすくなった事。 また、母が病気の私を優しく包んで くれるようになった事等をきっかけに、 自然と自傷をする事が無くなった。 あれだけ荒れ狂う津波のように 気分やこころが定まる事は無かったのに、 今は凪いだ海のように落ち着いている。 その変化が、自傷する自分から 抜け出せた理由であろうと感じる。 手首はデコボコになって傷跡さえ 癒えないものの、今まで負った軽い傷は 時間が癒してくれた。 ただ、虐待があった過去、父の暴言など 子どもの頃深く刻まれた傷は、 癒えるどころか今も膿んでいる。 それらは、主治医やカウンセラーとの 対話の中でゆっくりと考えていきたい。 閑話休題。 今日はコンビニで発泡酒を買う際、 キリ○復刻ラ○ー<明治>を購入した。 昨日は<大正>だったので、 飲み比べをしてみたかったからである。 <明治>の方が、幾分まろやかな味わいであった。 こうして楽しみながらビールや発泡酒を 飲める事が嬉しい。 そして、スーパーの前にある八百屋で きんかんを見つけたので、 「あ、きんかん!」と母に言うと、 「え?きんたろう?」と聞き返してきた。 『きん』しか合っていなかったが、 そんな他愛の無い会話が愉しく、 2人で大笑いした。 「八百屋に金太郎は売ってないよ」と。 ゆっくりとゆっくりと、 過食嘔吐を1日1回で済ませられる心持ちが 根付いてきた。幾分身体も楽になり、 浮腫みも減って身体が軽くなった。 私はコンプレックスの塊のような 人間であったが、病気を経験した事で あるがままの状態が一番良いと言う事実に 気付きつつある。1日1日生きて過ごせるだけで 幸せなものである。そこに笑顔が含まれていたら もっと幸せな感じがする。 病気は物凄く辛く、哀しく、虚しいが 笑顔は忘れないでいたい。 そして礼儀正しく、きちんと 「ありがとう」と言える人間になりたい。 つまり、もっと人間として内面が綺麗な 人間へと成長したいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.21 21:05:33
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