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2007.11.08
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カテゴリ:絶望
無力感に飲み込まれ

私は、抗う事もできず

茫然自失となった。







時間を経る毎に

こころのざわめきが

大きくなっていった。

混乱していくこころを

私はどうする事も出来ず

頭を抱え、うずくまるしかない

朝だった。

そして私は、処方量以上のお薬を

服用した。







“生命線”

私のそれは、

“電話診察で主治医と繋がっているライン”

である。

今、私はそれに対して

恐怖の感情を抱いている。

例の患者さんは、金曜日が

診察日であるという。

だから、また同じことが

繰り返されないとは限らない。

現実の私が、生きていく上で

手放す事の出来ない命綱は、

主治医との診察である。

主治医と話す事で、

「生きて、病気を治そう。」

摂食障害についてもっと考えを深めよう。」


と想い直せるのである。

あのハプニングからは

立ち直りつつあるけれど、

“また同じことが起こるのではないかという恐怖”

だけが私のこころに残った。

そして、命綱を自ら

断ち切ろうとしている自分が在る。







朝から気分がおかしかった。

『ボーン・アイデンティティー』

を観終わり、少しだけ

『おもひでぽろぽろ』

を観た後、

ぼんやりとめざましテレビを観た。

「何もしたくない。食べたくもない。」

と想いながらも、

惰性で過食と嘔吐を終えた。

その後に残った無力感

どんな言葉でも例えようのない、

もう、意識を消す事でしか

解決できないような、

そんな気分になった。

ずっと、唸り声を上げていた。

呻いていた。

何が苦しいのか、分からない。

自分を傷つけたくて、堪らない。

お薬を服用した後だったから

過食と嘔吐といった手段で

無力感から脱出する

方法も取れない。

だから、私はお薬を追加した。

お薬の効果が現れ始めて、やっと私は

眠りに落ちることが出来た。

9時間くらい、断眠せず

昏々と眠り続けた。







厭な夢を見たことは、

かすかに覚えている。

顔のない人たちが、

私を次々に罵倒していった。

「お前には生きる資格なんか無い。」

「生きているだけで迷惑だ。」

「何が“言葉を大事にする”だ。馬鹿。」


そういった言葉を投げ付けられた。

その通りだと想って、俯きながら

受け止めていたという夢だった。

顔はなかったけれど、皆女性で

顔がないのが怖いのではなく、

存在自体が怖かったのを覚えている。







やはり、ここ数日

このブログという場で

“言葉の大切さ、恐ろしさ”

について深く考える所が

あったからかも知れない。

このブログは、私が楽天の場を借りて

開設したものである。

だが、幾ら自分の場とはいえども

言葉には気をつけねばならない。

でもそうする事で、

主張したい気持ち、想っている事を

自由に表現できないなんて

物凄く哀しい。

とある出来事で自分の想いを

素直に綴る事を自粛していた。

でも、私は摂食障害という

私の根本ともいえる病気に対して

もっと実直に考え、

それを言葉にしたいと想っている。







14歳の頃に患い今も続く摂食障害。

今年で13年目になるが、

本当に苦しい。

否、“苦しい”の一言では語り尽せないほど

壮絶な日々を過ごしてきた。


患った始めの頃は

吐く事も難しく、何十分もトイレに

閉じ篭って必死になっていた。

高校では良い成績を取り

品行方正であらねばならなかった。

それは、妹が非行に走っていたからである。

私だけでも真面目でいなければ

母は直ぐに倒れてしまいそうだった。

家に帰った途端、私は食べて吐く事しか

頭に無かった。

友達と、頻繁に遊ぶ事もできなかった。

沢山食べて、吐かない日は無かった。

高校生の頃、人並に恋愛もしたけれど、

病気の事があったから後ろめたかった。







物凄く苦しくて哀しくて、

潰れてしまいそうな程

自分を見失った頃がある。それほどの

無力感に覆われていたのは

大学生の頃、大失恋をした後だった。

アルコールに浸り、

過食と嘔吐の回数も一気に増えた。

想い出したくない事だって沢山ある。







また、大学4回生の頃

妹達と同居していた頃は

私の居場所がなくなった。

必須の履修科目は全て取得していたのに

家に居ないで済むように

毎日講義を入れていた。

家では1日7~8回の過食と嘔吐をして

自転車で45分かけて通学していた。

妹や母との衝突は多かった。

私は邪魔者扱いをされていた。

母を交えたカウンセリングが失敗に終わり

家に帰るのが怖くなった私は、

大学で少し規定量を超えたお薬を

服用して主治医の前で倒れ、

救急車で運ばれた。

向精神薬中毒で死にかけ、

栄養失調、肝機能障害で2週間入院した。

今日はここまでで留めておくけれど、

追々過去の事は振り返っていきたいと想う。







苦渋に満ちた過去でも、そんな過去があるから

今の私がある。母とも諍いが絶えなかったけれど

今はとても良い関係を築きつつある。

それは過去、必死に生きてきたからである。

だから、想い出したくない事は

一旦忘れていても、消去するのではなく

自分の大切な一部として保護しておきたい。

忘却の彼方に押しやりたくは無い。

この今までのプロセスこそが、明日を作っていくのであるから。








お薬を多めに服用すると、

副作用として便秘になる。

これは数日掛けて水分を沢山摂取すれば

解消されるので楽観視している。

ただ、明日が怖い。

火曜日、病院に電話を掛けられたのは

多分あの時と同じ患者さんは居ないだろうと

想ったからである。

でも、金曜日は例の患者さんの

診察日だから18時頃に

電話を掛けてくれたら

大丈夫だと想うと主治医も仰った。

「怖い、怖い。」

と想っていても、何も始まらない。

だが、今日の私はこの恐怖に、

無力感に覆われてしまったので、

オーバードーズという手段に走った。

上に述べたように、主治医との電話診察は

生命線であると言っても過言ではない。

澱のように沈んだ何らかの気持ちを

言葉として表現し、自分の中から出す事で

主治医との話が広がりを持ち

やがてそれは、摂食障害やこころの病、

如何にこころを大切に過ごせるかといった

事柄へと繋がっていく。

今、私が生きていることや

行なっている事は無駄でないと信じたい。

これも何らかのプロセスに繋がっているという

想いを深めたい。

明日の電話診察については

もう少し考えたい。





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Last updated  2007.11.08 22:06:45
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