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カテゴリ:診察・カウンセリング
全ての事が、苦しくなってきた。 呼吸をする事だけに精一杯で もう動きたくないし、何もしたくない。 なのに、頭の中では 「あれをやらねば、これもやらねば」 と動いていて、止まらない。 自分を消してやらないと、止まらないんだろう。 でも、自分を消す気力すらない。 気が付けば、いつも自分に問うている。 「どうして生まれてきたのか」と。 何故生まれてきたかなんて、摂理は分かっている。 無理矢理結婚させられた母が、 どうして私をつくったのかも聞かされた。 だが、生まれてきたからには 私も1人の人間として生きねばならない。 ただ、父からの言葉による虐待が 傷となっていて生きる気力が失せる。 その言葉は、私を侮辱するものであり 果てしない屈辱感を与えるもので 酷く自尊心を傷つけられ、立ち直れないものだった。 主治医によると 「自尊心が傷つけられる事、 プライドの危機も、トラウマになる」 と仰っていた。 身に沁みて、それを感じている。 つまり、トラウマは【恐怖】だけでなく、 蔑まれ、辱められ、屈辱を味わうといった 傷つきによっても残る。 私の場合、太っているという体型について 周りの人々から散々傷つけられた。 父からは人格を否定される事も毎日のように 言われていた。 痩せれば、太っていなければ、 もう傷つけられる事はないと想って ダイエットを始めたのである。 なので馬鹿にされたくないという【身構え】が、 常に続いているという状態なのである。 それが恐怖だから。 「痩せねばならない」 という考えは、そういう観点から見れば 認知の歪みではないと捉えられる。 そう主治医は仰って私も納得した。 「痩せねばならない」という想いは 「蔑まれたくない」に繋がっている。 だから常に身構えて、 生きているという事に疲れるのである。 人間には、誰にでもプライドや自尊心がある。 それが傷つけられるという事は 屈辱以外の何ものでもなく 傷つき、自分を守るため身構えるのである。 だが、私にはまだ【身構えるという状態を解く】術は分からない。 こうして気付く事から 解けるようになると主治医は仰っていたので その“気付き”は大切にしたい。 これらの事を諭して下さった主治医に感謝したい。 私1人では到底気付けなかった事であるから。 なんでこんなにも生きるのが辛いのだろう。 生きていく事自体が苦しくて堪らないのは 何故だろう。 それしか頭の中になかった。 けれども、違う視点から見て頂く事で 自分は常に自尊心を傷つけられて生きてきて、 いつも身構えている状態になっている事に 気付けた。だから生きるのに疲れるのだと。 主治医は、私と母との関係が段々良くなってきているのに 全く病状に動きがないという事に疑問を抱いていたらしい。 母との関係の中で、私が母に対する“身構え”も 解けつつあるのに、病症は相変わらずだから、 もっと奥深い所に謎や課題が残っている筈だと 気付いた所から、もう1種類のトラウマが 露となったのである。 診察を受診して、主治医ときちんと話し合う事の大切さを 改めて感じた。 そして、私にも何か気付いた事があったら その考えを伝えてほしいと仰っていたので 来週の火曜日または金曜日まで 色々と何かを考えるという課題が出来た。 鬱々と自分の生死について考えるより、 余程発展的である。 ほんの少しだけ、活力が湧いてきた。 もう、食べる事に対して辟易しているのに 無理矢理食べる自分がいる。 それが嫌悪感を生んでどんどん自分が嫌いになっていく。 母と一緒に過ごしていても 共に食事をするのは1人より温かく 嬉しいものではあるが、 過食と嘔吐に繋がる事が多い。 やっとそれらの行動を終えても、 夜中にやる次の過食と嘔吐の為に 準備を始めている自分に嫌気が差す。 食べないでいる事も、食べている事も どちらも私にとっては苦痛である。 今は、仕方がないのであろう。 そうはいっても全てを諦める訳ではない。 病気なのだから、その症状が出るのは 当たり前の事なのである。 如何にその病と共に生きていくか。 問題はそこにあるのだろう。 未来の事を考えると滅入ってしまう。 何にも希望を抱けないから。 小さい頃は叶わぬ夢でも、沢山夢を抱く事ができた。 大人になったら、結婚して子どもを産んでという 平凡な夢を描いていた。 いつからか、平凡も普通も叶わぬものと知り、 ペシミズムの観念でこころは支配された。 傷つく事を恐れて自ら殻に閉じ篭り、 同時に外界との交流を断ってしまった。 しかし、いつかはその殻を破り また歩き出せる事は信じていたい。 諦めないでいたい。 そんな風に、焦らず過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.15 00:07:35
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