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凍えたココロ

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2008.04.17
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カテゴリ:過去の事

段々、妹達の結婚式が近付いている。

私は焦っている。

未だに美容室へ行っていなければ

予約さえ入れていない。

洋服も買っていない。

焦るこころに反して、

身体は重く、動かない。

どんどん鉛のように心身ともに沈み行く。







想えば、私は子どもの頃からそうだった。

例えば夏休みの宿題。

最初の1週間で半分位仕上げるけれど

それに安心して、後は放置してしまう。

「明日やればいい」

という想いが延びに延びて

夏休みが終わる2~3日前に慌てて

自由研究や図画工作、読書感想文、

残りの宿題を仕上げるのである。

それを6年間、懲りる事無く繰り返した。

大学生になっても、1回生の頃こそ

レポートは早目に仕上げていたが

慣れてくると提出期限5日前にやっと手をつけて

1日前に提出するという感じだった。

試験の場合は、前の日に図書館で勉強する。

家には私の居場所がなく、また乳児の姪っ子が

居たため、勉強できる環境ではなかったから。

私が在学していた頃、図書館が閉館するのは

確か21時半だったと想う。

家に帰り着くのは、途中のスーパーで

食べ物を買わねばならなかったから

22時半過ぎ。

昨今、世間はかなり物騒になってきているので

よく自転車で夜遅くに女1人、

暗い道を走っていたなと想う。

そういえば夜道を帰っていたら前から来た

自転車の変な爺さんがいきなり叫んで脅してきたり、

後ろから原付が速度を落として傍に寄って来て

私の胸を掴んで逃げて行った事もあった。

痴漢・・・それは今でもトラウマで、

あの道は未だに明るくても通れない。







話は逸れてしまったが、妹達は結婚式の準備を

着々と進めている。


一昨日、ウェディングドレスを着て

写真館で夫婦の写真を撮ったと聞いた。

私の役目は、結婚式の写真を撮る事である。

母の恋人がデジカメを贈ってくれて、

私はこれからその説明書を読んで

取り扱い方を紐解かねばならない。

今まで、携帯電話のカメラで写真を撮るのは

事足りていたので

文明の利器が突然家にやってきて

戸惑っているのが正直なところである。







凄く喜ばしい事を控えているのに、

私の半径1mはまるで黒い雨雲に

覆われているように不安定である。


頭が酷く重くて只管眠い。

無論、お薬は処方通り量を守って服用している。

そして脈が頻繁に乱れたり飛んだりする、不整脈。

歩くだけでその振動が頭に響く、知覚過敏。

私の身体は一体どうしてしまったんだろうと

不思議でならない。

母に苦しみと辛さを与えている罪と罰。

そう考えたら納得がいく。

病気の全てが枷になっているとは考えない。

なるべくしてなった、患った病気。

3歳にして、私はこころに問題を抱えていたのだから。







24年、私はこころの病気を抱えている。

3歳の頃は勿論自覚なんてなかった。

でも、顔が引き攣って気持ち悪いとは想っていた。

チックである。そして小児喘息。

小児喘息を患うのも、色々な説があるが、

それを全て信じてはいない。

また、胃腸が弱い私が初めて腹痛により

登校拒否になったのは小学3年生だった。

担任は、お腹の大きい妊婦の先生で、

精神的に不安定だったのか、いつも苛立っていた。

忘れ物をした子に対しては、頬をビンタ、

そしてつねり、またビンタ。

頭を叩く。その情景を真後ろの席で見ていて、

私は酷く恐怖感を覚えた。

家でも母が私に対しての打擲があるから

こころが休まる時などなかった。

忘れ物がないように、お蒲団に入っても、

10分おき位に2階の自室へ行き、

ランドセルの時間割や宿題などを確かめ、

またお蒲団に潜るという行動を

一晩に5~6回繰り返していた。

そしてとうとう、学校へ行く前になると

お腹が痛くなる症状が出始めた。

勿論、腹痛では学校を休ませてくれない。

無理矢理外に出され、1分で辿り着く学校まで

ゆっくりした足取りで向かった。お腹を抱えながら。

毎日、私が腹痛を訴えるので、

やっと母が私の話を聴いてくれた。

「先生がとても怖い」

泣きながら、言った。

その日も休む事は許されず、お腹が痛いまま

少し遅刻して学校へ行った。

確か、その日は体育で水泳があった。

着替えを終え、教室へ1人、戻ろうとしたら

その途中で担任が待っていて、私の傍に来た。

一瞬身構えたが、担任は私の肩を抱きしめた。

「先生の事、怖い?先生はちょっと厳しいかも知れんけど、

 怖くないよ。ね。」

と笑顔で言っていた。

私は、吃驚して、ただ頷くだけだった。

そして去っていった先生を見て、

「ああ、母さんが先生に言ってくれたんだ。」

と理解した。

初めて、母は私の事をこころから心配してくれていると

実感した瞬間でもあった。

ちょっと、胸の辺りが温かくなったのを憶えている。

その後すぐ、担任は産休に入って、

代理の先生はとても優しい女性の先生だったので

安心した。

勿論、学校へ行く前にお腹が痛くなる事もなくなった。

父と母の仲が険悪になり、毎晩父の怒鳴り声に怯え

ストレス性胃炎になり、学校でも意地の悪いオバサン教師に

毎日口汚く罵られるようになるまでは。


一時期、緩和する事はあっても、

私はずっとこころに何かしら抱えるものが

あったのだと改めて感じる。







現在は、もう無理が出来ない身体になった。

無理をしようとしても、余程の事がない限り

動かないのである。

頑張れない自分を情けなく想う。

周りの人々は、苦境の中でも努力したり、頑張ったりして

壁を乗り越えようとしているというのに。

怠けている私を赦せない。

ただ、主治医が仰るように3歳からの病気を

今、癒しているのであれば

それなりの時間がかかるのを覚悟しなければならないだろう。

マイペースを忘れずに、焦らずに。

それがまた難しいけれど、

そのスタンスでやっていきたいものである。






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Last updated  2008.04.17 20:57:14
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