夕暮れ、3人で歩く。
祖父母と過ごした昨日という日は沢山笑ってとても楽しいものであった。やはり外出する日は起き上がれない。昨日から自分に対して酷く苛々していて「過食と嘔吐をしなければ。」という想いで一杯だった。朝起きてそれらを無理矢理終わらせ、ぐったり横になったら15時前まで眠ってしまった。母が、優しく諭して起こしてくれた。意を決して支度をした。先ず、眼鏡を購入した。私は余り眼鏡が似合わないので気に入ったものを見つけるのに時間がかかってしまった。購入した後母と別れ私はタクシーで祖父母の家へ行った。日曜、月曜と「行くね。」という約束を破ってしまったのに、祖母は何も言わず温かく迎え入れてくれた。2人は、とても元気そうであった。先ずは3人で洋服店へ行った。祖父母と共に洋服を選ぶのは何だかほんわかした気持ちになる。私に似合いそうなものを祖母は探し出してくれてとても嬉しかった。祖父は、カートを押していた。時々祖母を見失い、あちこち探してまわっていた。祖母も私も、時々自分勝手な方向へ歩いていってしまうので祖父は困っていて申し訳ないと想った。その後、歩いて20分位の所にある蕎麦屋さんへ入った。19時過ぎでもまだ明るく、夕暮れを見ながら3人でゆっくり歩くその空間がとても心地良かった。取り留めのないお喋りをしながら時々段差がある部分で祖父を気遣いながら歩いている時間。貴重なものであった。祖父母と共に食事をするのも凄く久し振りであった。テーブル席で祖父と祖母が並んで座り、私は対面して座った。暑さを感じていたので3人共に冷たいお蕎麦を注文した。祖母はサラダそば、祖父はざるそばと天丼のセット、私は単品の天麩羅と山かけそばにした。祖父はしきりに「うまい!美味しい!」と言いながら食べていたのでほのぼのした。祖母のサラダそばには茄子が入っていて「私ね、いっつも茄子を食べたくて スーパーで買うんだけども いっつも忘れて腐らせてしまうんよ。 食べたいなって想った時 いつもなくてさ。 ああ、このお茄子、美味しい!」と満面の笑みを浮かべていた。祖父母の家に帰り着いたら、3人でコーヒーを飲んだ。その時、祖母の故郷である北海道のお友達からのプレゼントだというチーズケーキを振舞ってくれた。一瞬、これをきっかけに過食をしたくないから食べたくない・・・と想ったけれど、真っ白なケーキはとても美味しそうで少しだけ食べてみることにした。すると、クリームの部分は濃厚で口の中でとろけ、薄い底の部分はクランチー且つさっくりと軽く、目を瞠るくらい美味しかったのである。こんな美味しいケーキを頂いたのは初めてかも知れない。何でも『白い恋○』を作っている会社のケーキだという。道理で美味しい訳だと納得した。2口だけ食べて、残りは祖母に譲った。その場での会話がまた楽しかった。母と母の妹の話が一番盛り上がった。2人とも大変腕白な子どもだったそうである。つまり、怪我が絶えない子どもだったのである。母は子どもの頃、かくれんぼをしていた時、振り向いたら止まっていたトラックに左頬を思い切りぶつけてしまったそうである。余りの痛みに母は泣きながら祖母の所へ一旦帰った。祖母が「大変だ!」と貼り薬を探していたその隙にまた遊びに行ってしまったのである。夕方、充分に遊び帰ってきた母の頬は2倍以上に膨れ上がっていた。今でも、母の頬骨は少しだけ陥没していて、笑った時に笑窪になる。母の妹は、遊んでいて転び、鼻の頭が裂けてしまった。砂が入っていたので祖母は彼女に馬乗りになってオキシドールを浸した綿球でごしごし洗ったという。勿論、母の妹はぎゃんぎゃん泣き喚いた。消毒が済んだ後、祖母が祖父の母から教わった治療法を施したので今では痕などない。その治療法とは、傷の所に生卵を割った時に取れる『薄皮』を貼り付けるというものである。薄皮に付いた白身の成分が傷口を引っ付けるのに適しているそうで、本当に綺麗に治った。民間療法も侮れない。母も母の妹も私も妹も弟も子どもの頃は怪我が絶えなかったのはそれ程元気一杯だったという事であろう。痛々しい怪我ばかりだけど、それを笑い話として現在、話せるのはとても幸せな事だと感じた。その後ゆっくりと祖父母と私3人でTVを観ていた。私は徐に仏壇の前でお線香に火をつけて「チン」とリンを鳴らして手を合わせた。ご先祖様に色々報告した後、傍にツボを押す器具があったのでそれを手に取り背中にある胃のツボを押していると、祖母が「ちょっと此処にお座り。 私が押してあげるから。」と言った。疲れているであろうからやんわり断ったけれど、「良いから良いから。」と、座布団をクッションにして私を座らせた。そしてゆっくり肩のツボを重点に押してくれた。その時、私は最近胃カメラの検査と結果を言った。すると祖母は「そりゃ、あんた傷だらけで 当たり前よ。 食べて吐いて、飲んで吐いてって やってるんだから。 いつまでもやってたら 胃は治らんよ。 まずは食べて吐くのを止めな。」と言った。摂食障害の事で祖母にまで心配を掛けてしまっている。私は、治したいけれどどこかこの症状に甘えている部分がある。祖母は優しく私を横たえ背中にある胃のツボを重点に押してくれた。コリコリと硬くなっていて痛い部分もあったが、マッサージが終わった後、首や肩、背中が随分楽になっているのを感じた。祖母に「ありがとう」と感謝の意を告げてまたTVを観ていた。すると祖父が、「かあさん、肩凝ってないか? わしが押してやろう。」と言ったのである。祖母は照れ臭そうに「とうさんが押してくれるって。」と笑顔で言った。祖父は以前も記している通り認知症であり軽いパーキンソン病も患っている。しかし祖母を大切にして深く愛する気持ちに全く変わりは無いと悟った瞬間でもあった。私はTVを観ている振りをしながら実は祖父母の姿を見ていた。祖父もツボの知識があるので優しく、時に力強く祖母の肩を揉んでいた。祖母は、目蓋を閉じてリラックスしていた。私は何故か涙が出た。またも、“生きている事は素晴らしい事”と感じられた。私はこの瞬間、この場に居られた事が凄く凄く幸せだと想った。生きるのも悪くないと考えた。22時が近くなったので暇を告げた。祖父母と共にタクシーが来るまで夜空を見上げた。蒸し暑い夜だったので風が生暖かかったけれど私が住んでいる所よりも星はたくさん見えた。タクシーがやってきて乗り込む前に祖父母へ今日1日の感謝の気持ちを精一杯伝えた。「また来るけんね!」と告げると、「旅行、気を付けてね!」という言葉が返ってきた。お土産を選ぶのが今から楽しみである。こうして祖父母との1日は終わった。そして今日。朝から一生懸命大阪で行動する為の道程をネットで調べて地図をプリントアウトしていた。私が住んでいる地域は田舎なので地下鉄なんてない。新幹線もない。主治医は大阪に住んでいらした事があるので、地下鉄の広さを教えられると物凄く不安になった。私は、方向に関して極度に疎い。「西側の~~に出て○○に乗って・・・」という道程を考えただけで「嗚呼!もう、わからん!」と自分に腹が立つ。それでも何とか目的地の最寄の駅や宿泊施設の近所で母としっとり飲むための居酒屋を探してプリントアウトした。母は、「もうね、分からなくなったら 誰かに訊いたら良いんよ! それでも分からなかったら タクシーに乗ろう! そうしよう!」とやけに前向きだったので安心した。いよいよ、出発日が来る。若干、見知らぬ土地を歩く事に不安と緊張感は否めない。けれども、母と共に何とか乗り越えたいものである。初めて『舞台』なるものを観劇することになるが、こころから楽しみにしている。ただ、2階席なので大好きな女優さんのあの小さいお顔がちゃんと見えるかどうかが心配でもある。大体、支度は済ませた。後は、明日6時にちゃんと起床できるかが問題である。これは今持っている力を総動員させて頑張るしかない。今日は、早目に眠る事にしよう。