源氏物語の紫式部日記50 とりとめない話にじぶんを慰めたりする
「〔50〕お産のために簡素であった―十一月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。伝手(つて)をたどって文通などしたものだが、ただこのような物語をいろいろいじり、とりとめない話にじぶんを慰めたりして、だからといってじぶんなど生きてゆく価値のある人間だとは思わないが、どうにか恥ずかしいとか、辛いと思うようなことはまぬがれてきたのに、宮仕えに出てからは、ほんとうにわが身の辛さを思い知らされる。実家に帰った式部の索漠とした心境。式部の宮仕えの憂鬱は底知れぬほど深い。そんな気持ちも晴れようかと、源氏物語を読みかえしてみても、以前のようにはおもしろくなく、あきれるほど味気なく、うちとけて親しく語り合った友も、宮仕えに出たわたしをどんなに軽蔑しているだろうと思うと、そんな気をまわすことも恥ずかしくなって、手紙も出せない。奥ゆかしい人は、いいかげんな宮仕えの女では手紙も他人に見せてしまうだろうと、つい疑ってしまうから、そんな人がどうしてわたしの心の中を、深く思ってくれるだろうと思う。それも当たり前で、ひどくつまらなく、交際が途絶えるというわけではないが、しぜんと音沙汰がなくなる人も多い。わたしが宮仕えに出ていつも家にいないからと、訪れてくる人も、来にくくなり、すべて、ちょっとしたことにふれても、別世界にいるような気持ちが、実家では余計にして、悲しみに気がふさぐ。式部の孤独な悲しみの思いの丈を述べている。彼女にとって華美な宮廷生活は、肌に合わないという程度のものではなく、生まれつきが合わないのである。