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碁法の谷の庵にて

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2016年03月30日
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★はじめに

 個人を対象にする性犯罪において、親告罪だから被害者が泣き寝入りする・・・被害者支援団体やその支持者らからよく見られる主張です。
 先日は、京都新聞にこのような記事が掲載されました。
 親告罪だから被害者が詳細な事情聴取に苦しんでいる、という主張のようです。

 しかし、この考え方、刑事事件、被害者支援に詳しいに詳しい弁護士などからしてみれば、何を言ってるんだこの人は?です。
 私個人は変な「支援団体」が間違った知識、あるいは断片的で誤解を招く知識を入れ知恵してしまったのかなぁ?と疑っています。

 誤解のないように言っておきますが、私は個人的には非親告罪化それ自体は一理ある、と考えています。今、票を入れてくれと言われたら多分非親告罪化に一票を入れると思います。
 しかし、それは「手続の煩瑣を除外するため」程度のものであって、抜本的に被害者が救われる結果になることなどは全く期待していません。
 また、非親告罪化に関して、被害者の意向を酌む対処を別途行う運用をすべきであり、そういった運用がおかしければ非親告罪化は不当と考えるかもしれません。現行実務では、そういった運用は非親告罪でもされていると考えていますが、それでも短所も存在し、一長一短であって私は長の方をとっているだけです。
 むしろ、今の被害者団体の考えているような視点からの非親告罪化が進められるならば、かえって被害者が傷つけられるか、とんでもない冤罪が量産される恐ろしい結論になりかねないと考えています。


★もし性犯罪が親告罪でなくなったら?

 さて、性犯罪が親告罪でなくなった場合を考えてみましょう。この場合、「被害者があえて告訴します、と言わなくても裁判にできる」ということになります。

 しかし、実際に現在の法律と差が出るのは「被害者があえて処罰を求める意思表示をしていないのに検察が起訴する」ことが可能か不可能かという問題になります。
 ここに絞って見ていくと、被害者を助ける効果はあまり期待できないし、親告罪ハードルを取っ払ったところで結局その後のハードルに耐えられないだけ、もっと苦しくなるだけと考えます。


★★犯罪は「立証」できなければ意味がない!!

 性犯罪が親告罪でなくなったとしても、犯罪は「立証」することが求められます。
 親告罪はあくまでも犯罪を「刑事裁判にかける」ためのハードルの一つに過ぎません。
 被害者の皆さんの望みは、単に裁判にかけることだけでなく犯人を有罪とすることのはずです。
 有罪判決を取れる見込みをきちんと得て、最終的に有罪判決に至るには、裁判できちんと証拠を用意しなければなりません。
 そして、その際には刑事裁判の一大鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」のハードルを乗り越えることが必要になります。

★★無罪でした(。・ ω<)ゞは通用しない!!

 有罪判決がとれる見込みさえもないのに裁判にかけることは許されません。
 検察が漫然とそんな件を起訴すれば、刑事補償どころか違法起訴として国家賠償を請求されかねません。

 また、被害者サイドとて、告訴した件が無罪でしたということになれば、不当告訴で被告人に負担を与えたということで被告人の訴訟費用の負担をさせられたり、逆に名誉を毀損したなどと言うことで被告人側から民事提訴・賠償命令を受ける可能性があります。民事裁判ならば裁判を受ける権利が保障されていることもあり、割と責任追及されづらいのですが刑事は裁判を受ける権利の保障対象外ですから、責任追及がありえます。
 最悪の場合、虚偽告訴罪で逆に刑事処罰される恐れも出てきます。
 また、報道されることで、本当のことを言ったのに証拠不十分になってしまった場合でも被害者が嘘つきであるかのようなバッシングが行われることもしばしばです。(そんな報道の在り方は問題だと思いますが・・・)
 とりあえずやってみて、ダメならダメだったで仕方ない、というのは、被告人サイドからはもちろん、被害者サイドにとってもあまりにリスクが大きすぎる賭けと言えます。それだけのリスクを認識した上で、もちろん誠実に行うのは被害者の自己決定ですが、法律家としてはお勧めできない選択肢である、と言わざるを得ないのです。 
 そして、それだけの覚悟を決められる人たちが告訴もできずに犯人の処罰への希望を断念する、と考えることは無理がありすぎるでしょう。

★★性犯罪は被害者証言なしで立証するのは無理!!

 では、性犯罪をどうやって立証するのでしょうか。全て防犯カメラにでも撮ってあるというのであれば、まだなんとかなるかもしれません。
 しかしながら、性犯罪は基本的に密室で行われ、第三者による目撃証言などによる立証が非常に困難であるのが通例です。加害者本人が「身に覚えがない」「あれは合意によるものだ」と言ったら、加害者が罪を犯したことを立証する証拠は、被害者の証言(あるいはそれを聞いた第三者の証言)以外になくなってしまいます。

 一部被害者団体は、加害者に立証させて立証できなければ処罰すべき!!という驚天動地な主張をしていますが、それでは日本の成人の99%はいつ刑務所に入れられてもおかしくないことになるでしょう。365日24時間アリバイの用意できる暮らしをしている人などいないと言ってもいいですし、夫婦間でさえ性犯罪は成立するわけですから。
 完全な被害者性善説は通用しません(後述します)。

★★被害者証言で立証は厳密な吟味が必要!!

 そして、疑わしきは罰せずという原理の下、被害者の証言一本で立証していきます、というのならば、当然その被害者の証言に対しては厳密な信用性の審査を行わなければいけません。

 被害者性善説に従い、「14歳の被害者が嘘つくわけないだろ!!」と被害者の証言にべったり寄り添って事実認定した結果、特にアリバイがある訳でもない被告人にはなす術もなくなり、冤罪事件となってしまう、という例さえあります。一昨年冬に発覚、先日検察が白旗を挙げる形で無罪となった、大阪で懲役12年の判決を受けた男性の再審の件がいい例でしょう。
 わいせつ事件で虚偽告訴をやらかし、前科前歴がないにも関わらず刑務所暮らしを余儀なくされた自称被害者の例としてこんな事件もありますので、参考にしてみてください。

 被害者の誤った証言についてはまた後日記事にしようかと考えていますが、しばしばこういったことはあり、検察も嫌疑不十分にする、あるいは条例違反(最高でも懲役2年)に落として起訴する例は決して少なくありません。被害者の証言に頼って立証するというのはそれだけの危険も伴うところ、というのは警察・検察も重々認識しているのです。

 当然、こういった危険のある証拠である以上、吟味しないわけにはいきませんし、吟味に耐えて立証するには、被害者にもそれ相応の負担が求められます。

 告訴はするが証言は嫌、警察に詳細に聴取されるのも嫌では、防犯カメラに全部映ってました、全部見てた人がいました、犯人が全部自白しましたという奇跡でも起こらない限り証拠不十分でしょう。証人の反対尋問権は被告人の憲法上の権利ですが、反対尋問権以前に「証拠自体がない状態」でどうしろというのでしょうか。
 映画「それでもボクはやってない」で言うなら、映画本編であったような「法廷に出てきた被害者の証言を信じる」以前に「被害者の具体的な証言すらないけどとにかく被害に遭ったと言ってたことは事実みたいだから有罪だ」というレベルであり、映画の中で問題のある考え方をすると演出された裁判官が人権派の急先鋒に見えるレベルの考え方だと言えます。
 現行の実務でも、そういった負担さえ求めないのは無理だ、ということで動いています(裁判員裁判では、被告人側が争っていない件でも被害者を連れて来い、という運用になってきているという指摘もあります)。

 有罪判決のハードルは単に告訴をするなどとは比べ物にならないほど高いのです。
 親告罪のハードルは1mのハードルを飛び越える前の10cmのハードル程度のもので、親告罪のハードルさえ越えられないのに、有罪判決のハードルを越えられるかどうかは大きな疑問です。

★★被害者が嫌だと言っても起訴するの?

 非親告罪になるということは、「被害者が嫌だと言っていても起訴できる」ということでもあります。
 日本国の主権が及ぶ人物である限り、裁判になった以上国民には被害者であれ証人となり、真実を供述する義務があります。
 特に、被告人には公費で、強制手続による証人の尋問権がありますから(憲法37条2項)、被害者の意向を無視して起訴するならば場合によっては被告人から

「被害者は被告人に有利なことを知っているはず。証人として連れて来てください。」
「嫌だというのなら勾引手続を申し立て、強制的に連れてこさせます。」
「証言拒否は犯罪、嘘つけば偽証罪という条件の下で証言してもらいます。事件のことは思い出したくないから言いたくない?証言拒否ですから過料の制裁をしてください。」
「つい針小棒大に言っちゃった?偽証罪ですね、被告人側から刑事告訴します。有罪なら10年以下の懲役です。」

というような被害者への負担要求・責任追及ラッシュだって、検察が起訴すればあっという間に可能になってしまうのです。(厳密にいえば、全く別の方々の裁判でも必要ならば同様の供述を求められる可能性はありますが…)
 もちろんこれらを「被害者いびり」として行うのは弁護人として問題外ですが、否認事件で被害者証言一本で立証してくるのを迎撃する案件なら、弁護人としては当然に視野に入れる選択肢です。

 もちろん、処罰による秩序維持のためには、被害者の意向を無視してでもそういった徹底的な対応がやむを得ない、被害者のそういう意向を無視してでも処罰しなければならない、そのためには被害者には涙を呑んでもらうことが必要だ、という場合もあるでしょう。非親告罪というのはそのための制度でもあると言え、被害者の意向を無視したから直ちにダメな考え方だ、とまでは考えません。
 しかし、それは、「被害者の保護を声高に叫ぶ人たち」が「被害者保護の手段」としてやることでしょうか?

 「性犯罪の87%は警察にも相談されていない、67%は誰にも相談していない」という調査結果があります。
 司法手続に検討すべき点があるにしても、67%もの人たちが揃いも揃って「司法が悪いから手続に載せる以前に相談さえしない」なんて考えているとはとても思えないのです。
 つまり、性犯罪の被害者にとっては「そっとしておいてほしい」というのも珍しくもなんともない重要な希望であり、司法手続が本人の意向を無視し、ときには上記のような負担をさせることも許すというのが非親告罪化、ということなのです。

★★非親告罪でも運用面ではそんなに変わりません

 現在非親告罪になっている性犯罪として、強●致傷罪や強制わいせつ致死傷罪がありますが、これらも起訴猶予になっている例があります。こちらを見ればわかりますが、強○致死傷で送致された案件のうち、およそ3分の1が嫌疑不十分、およそ7%程度が起訴猶予になっています。強制わいせつ致死傷だと15%程度が起訴猶予です。起訴猶予、つまり「犯罪としては成立しているが、裁判にせず目こぼす」という措置です。「犯罪として証拠不十分だから不起訴にした」ではないのです。
 強○致傷・強制わいせつ致傷はいずれも最高無期懲役・裁判員裁判対象の重大犯罪です。
 それでなぜ犯罪が成立していることが認められているのに「処罰せずおしまい」という甘い判断がなされているのかと言ったら、被害者が法廷に出たくない、もういいと考えているからこそ、検察としてもその希望を無碍にするわけにもいかないという被害者への配慮としてされている面が大きいでしょう。

 結局、非親告罪化しても、これまでの実務同様に被害者自身の意向を見た上で起訴するかどうかを非常に大きな要素として判断せざるを得ず、ときには意向を酌んで不起訴にすることも考えられるわけです。
 そうすると親告罪かどうかは些細な手続上のズレでしかない面があると考える(もちろんそれでも後述する一長一短はある)のです。
 だからこそ私は非親告罪化それ自体には反対しませんが、親告罪だから被害者が救われない、親告罪のせいで詳細な事情聴取が行われ、傷つけられ不処罰になっている、という主張はウソと考えているという訳です。

★まとめ

 こうしてみればわかる通り、非親告罪にすることで、思い出したくもない被害について詳細な事情を聴かれなくなるなどと言うことはまずありえません。
 被害者から事情を聞かないで性犯罪で起訴させることは、真犯人かそうでないかを十分に見極められず冤罪を招き、あるいは真犯人であっても証拠不十分による無罪判決を招き、無罪判決となれば被疑者・被告人から被害者が「インチキの被害を訴えて人の人生を台無しにした責任を取れ」と逆責任追及を受ける危険性さえ増すことなのです。
 裁判手続が進んでにっちもさっちもいかなくなってから負担を求められ愕然とする、示談交渉における被害者側のカードを失うと言ったマイナスの効果も多数出てくることを考えないまま、親告罪にすれば被害者が救われるかのような主張は典型的な誤導であって、成り立たない主張であると考えます。




★ただし気になる点はある…

 上記の通り、親告罪叩きは誤導だと思いますが、一部被害者・被害者支援団体がこういう主張をするに至った背景に関しては、問題意識としてわかる点もあると言えばあります。

★★弁護人による勇み足な示談交渉

 一部の弁護士が、被害者に対して勇み足な示談・被害弁償の要求をしてしまい、二次被害となってしまうのを抑えたい、というのが考えられます。
 宮崎でビデオを種にした示談交渉への懲戒請求は退けられたそうですが、弁護活動としてどうだったか疑問があるという指摘は弁護士会からもなされたと聞いています。

 もちろん非親告罪だってまともな弁護人は示談や被害弁償を検討します。
 例えば窃盗や傷害は非親告罪ですが、非親告罪だから自白事件でお金があっても被害弁償しないという弁護士はいないでしょう。前記した通り強○致傷でさえ起訴猶予になる件もある訳ですし、結果として起訴されたとしても、量刑上は有利になるのですから、無駄にはなりません。
 そして、親告罪だから勇み足、非親告罪だから勇み足しない弁護士はまず考えられないといえます。親告罪であるにせよ被害者の心情を逆撫ですれば結局告訴は維持され、しかも情状が悪化する危険もあるのは非親告罪と変わりません。
 「親告罪だから勇み足しちゃった」とか本気で考えているのなら、その弁護士がアホなのであって親告罪のせいではなく、これを親告罪規定のせいだ、と考えているならば、それは実務への理解が不足していると言えます。

 ただ、親告罪であるがゆえに被疑者からの過剰な要望がなされてしまい、それを弁護人がはねつけられず従ってしまった結果、二次被害と呼ぶべき事態になってしまったということは考えられ(本当は弁護人も二次被害が予想されるような交渉ははねつけなければだめです)ます。
 この点について何をやってよい、何をやってはダメ、という線引きが、もちろん完全なものはできないにせよ弁護士サイドにも求められるようには思います。

★★ジェンダー・バイアス?

 また、一部にはジェンダー・バイアスと呼ばれる性犯罪に関しての偏見が事実認定の段階で登場しているという批判もあります。
 私個人としては単に説明できるというだけで「疑わしきは被告人の利益に」という原則を超えて有罪心証を導くに至るものは少ないと考えていますが、一定の知識不足と思われる判決が存在するとすれば、その点は裁判所や検察にも反省が求められることもあるでしょう。

★★告訴の有効性を巡るバトル

 さらに、告訴の要件が厳しすぎるのではないか、幼少被害者の場合、その告訴能力の有無が裁判上の争点となって判決が二転三転してしまったようなケースもあります。
 告訴は非常に簡易な形式にとどめる(現在でも、告訴は割と形式的に見てフリーなところがあります)、あるいは「告訴を起訴の要件」とするのではなく、「告訴しない旨の意思表示を裁判を終了させる要件」とすることで、「告訴という形式を満たしたかどうか」という争点を作らせない、また被害者に起訴不起訴を早く決めろ、と迫らざるを得ない運用を避け、公訴提起後も被害者に主導権を持たせる(身柄拘束をかけるとどうしても急ぐ必要が出てしまう)ことも考えられるでしょう。
 私が非親告罪化に一票入れるのは、こういった負担を軽減する効果がありえると考えているからです。





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最終更新日  2016年04月02日 11時40分49秒
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